あしたはどこへ・・・

後期高齢者だが 元気に豊かな気持ちで歩き続けたい・・

 労災病院看護専門学校の記念碑‥

2024-04-10 17:00:05 | 日記
 エネルギー革命によって炭鉱の我がマチが閉山したの昭和47年だ。
 昭和30年には我がマチに労災病院が開設された。 炭鉱閉山と人口減に伴い
労災病院から「脊損センター病院」に名称を変更したのは平成20年で内科・循環器
外科・整形外科など9つの診療科があって現在に至っているのだが 建物の老朽化と
経営不振もあって近年中には札幌市へ移転する方針・・と報道されている。
 信頼の高い病院を失う・・とても残念だ。

 脊損センターの周辺を歩いていると病院前の広場に「葵」と刻まれた記念碑が
目に付いた。この記念碑は昭和37年に開校された「労災病院看護専門学校」の
同窓会が建立したもので1,118名の看護婦を育成して平成19年に閉校した記録と
刻まれている。 乙女たちが学び、北海道の医療を支えた看護婦たちだ。

 記念碑の裏には”クリミヤの野に”の校歌が刻まれている。その校歌を紹介する。
 ♬ クリミヤの野に輝きし 愛の灯を受け継ぎたる 究めゆく我等の看りの道よ
 この学びの庭に光あれ 我等が白衣いや清し ♬(クリミヤとはナイチンゲール
の天使と云う意味のようだ)

 我がマチの市立病院が5月初めに新装オープンする。果たして脊損センターに
変わって市民に親しまれ 信頼される病院に生まれ変われるだろうか・・

        
        


コメント (2)
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