昭和20年終戦、満州・樺太・南方の引揚者と道内外の2,3男を対象に
就労と食料生産のため昭和21年~30年まで北海道各地の未墾原野に20万戸ほどを
戦後開拓者として入植させた。
特に引揚者たちは教員などの公務員や鉄道員・会社員・兵隊など農業に全く
経験が無い人が多く 重労働と厳しい寒さとの戦いでもあったと伝えられている。
国の開拓者を奨励する「開拓音頭」で夢と希望を持って入植したそうだ。
〇ハァ 晴れた晴れたよお山が晴れた 鍬を握れば腕がなる
サアサ 耕せ北海道 拓け希望のホンニソレソレ ユートピア
〇ハァ 揃た揃たよ笑顔が揃た 夜の炉端に愛の灯に
サアサ 楽しい北海道 夢も涯てないホンニシソレソレ 原始林
開拓の重労働に加え 農業未塾で食べる作物が作れない‥ソバと豆くらいだ。
冬期間は夫は土方人夫として 妻は遠く離れたマチの居酒屋で 2,3歳の
幼子を残して働きに出る、猛吹雪で3日ほど帰れない‥帰ってみると生の南瓜を
かじった跡があって凍死していた‥ 悲しい開拓の実話があった。
明日は 我がマチの戦後開拓について投稿します。(写真はネットから)
就労と食料生産のため昭和21年~30年まで北海道各地の未墾原野に20万戸ほどを
戦後開拓者として入植させた。
特に引揚者たちは教員などの公務員や鉄道員・会社員・兵隊など農業に全く
経験が無い人が多く 重労働と厳しい寒さとの戦いでもあったと伝えられている。
国の開拓者を奨励する「開拓音頭」で夢と希望を持って入植したそうだ。
〇ハァ 晴れた晴れたよお山が晴れた 鍬を握れば腕がなる
サアサ 耕せ北海道 拓け希望のホンニソレソレ ユートピア
〇ハァ 揃た揃たよ笑顔が揃た 夜の炉端に愛の灯に
サアサ 楽しい北海道 夢も涯てないホンニシソレソレ 原始林
開拓の重労働に加え 農業未塾で食べる作物が作れない‥ソバと豆くらいだ。
冬期間は夫は土方人夫として 妻は遠く離れたマチの居酒屋で 2,3歳の
幼子を残して働きに出る、猛吹雪で3日ほど帰れない‥帰ってみると生の南瓜を
かじった跡があって凍死していた‥ 悲しい開拓の実話があった。
明日は 我がマチの戦後開拓について投稿します。(写真はネットから)
命だけの引き上げで 何もわからぬ僕は乞食生活
再び 父の里で開拓の日々
それでも 子供はケロッとして 天真爛漫
今は 子供のお荷物で 隠居三昧 気楽な生活してます
人生 至る所 青山在り 徘徊もまた 楽しからずや
当地でも今は野菜の産地として人気の村が赤城山ろくにあります。平成の大合併の時にもどことも合併せず村が存続しています。先人たちの努力の賜物ですね。
周囲をいろんな市町村の開拓団の石碑が並んでいます。
戦後引き揚げた人がまたも北海道や東北で苦労された、知る人は少ないですね。
東京も焼け野原で孤児たちの悲惨な生活があったようです。
昭和20年生まれの私の知らない世界です。