あしたはどこへ・・・

後期高齢者だが 元気に豊かな気持ちで歩き続けたい・・

 戦後開拓と開拓音頭・・

2023-09-28 13:11:13 | 日記
 昭和20年終戦、満州・樺太・南方の引揚者と道内外の2,3男を対象に
就労と食料生産のため昭和21年~30年まで北海道各地の未墾原野に20万戸ほどを
戦後開拓者として入植させた。
 特に引揚者たちは教員などの公務員や鉄道員・会社員・兵隊など農業に全く
経験が無い人が多く 重労働と厳しい寒さとの戦いでもあったと伝えられている。

 国の開拓者を奨励する「開拓音頭」で夢と希望を持って入植したそうだ。
 〇ハァ 晴れた晴れたよお山が晴れた 鍬を握れば腕がなる
  サアサ 耕せ北海道 拓け希望のホンニソレソレ ユートピア
 〇ハァ 揃た揃たよ笑顔が揃た 夜の炉端に愛の灯に
  サアサ 楽しい北海道 夢も涯てないホンニシソレソレ 原始林

 開拓の重労働に加え 農業未塾で食べる作物が作れない‥ソバと豆くらいだ。
 冬期間は夫は土方人夫として 妻は遠く離れたマチの居酒屋で 2,3歳の
幼子を残して働きに出る、猛吹雪で3日ほど帰れない‥帰ってみると生の南瓜を
かじった跡があって凍死していた‥ 悲しい開拓の実話があった。
  明日は 我がマチの戦後開拓について投稿します。(写真はネットから)

       
       
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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
開拓 (I)
2023-09-28 18:02:18
昭和20年と聞くと、どうしても北海道への引き揚げを思い出します。私たちは、炭鉱街へとたどり着いたのですが、原野への入植者も多かったのですね。私の名の一字は、拓くであります。開拓の拓なのです。原野を切り開く苦労が目に映るようです。中村の古老たちから、米作りの苦労話などよく聞かされました。学校を休んでまでも、農作業に駆り出されたなどなど
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開拓 (もぐら)
2023-09-28 18:16:09
私の父母は 北朝鮮に開拓移住 敗戦までなんとかなる時に 元の木阿弥
命だけの引き上げで 何もわからぬ僕は乞食生活
再び 父の里で開拓の日々
それでも 子供はケロッとして 天真爛漫
今は 子供のお荷物で 隠居三昧 気楽な生活してます
人生 至る所 青山在り 徘徊もまた 楽しからずや
 
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戦後開拓 (大連三世)
2023-09-28 19:36:11
北海道は冬の寒さが厳しく開拓は大変な苦労だったでしょうね。
当地でも今は野菜の産地として人気の村が赤城山ろくにあります。平成の大合併の時にもどことも合併せず村が存続しています。先人たちの努力の賜物ですね。
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開拓村 (西やん)
2023-09-28 21:01:57
私の市には満州開拓団の記念碑があります。
周囲をいろんな市町村の開拓団の石碑が並んでいます。
戦後引き揚げた人がまたも北海道や東北で苦労された、知る人は少ないですね。
東京も焼け野原で孤児たちの悲惨な生活があったようです。
昭和20年生まれの私の知らない世界です。
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追記 (I)
2023-09-29 09:19:07
昨年江部乙に行ってきました。開拓100年を記念して建てられた。屯田兵家族の像を撮ってきました。道の駅の裏手です。行く機会があったらご覧ください。
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