今日は朝から仕事で高取町へ。
高取町で私が見たかったのは,「天誅組を撃破した大砲」。
昨秋,私は高取城に猿石を見に登ったことをブログに書いた。
そこで幕末,高取城を天誅組が攻めようとしたとき,高取藩が「大阪夏の陣のときの大砲」を使用したことを知った。
司馬遼太郎氏の短編「おお大砲」によると、1863年(文久3年)8月26日尊王攘夷急進派、天誅組千余名が五條から来襲し、「大阪夏の陣」で用いた大砲(ブリキトース)を高取藩が六門保管していて、その内使用可能な一門から打 ち出された三貫目玉が五町余(約600m)飛んで天誅組隊士・酒井の兜に当り、彼は一晩中耳鳴りがして眠れなかったという。
私はここのところ,司馬遼太郎に夢中!
今読んでいるのは,『世に棲む日日』の3巻目。
ちょうど関門海峡を通る外国船を長州藩が大砲で砲撃しているところ。
昨年,下関への旅で見た,赤間神宮前の海岸に海峡を向いて置かれていた大砲をイメージし,想像は膨らむばかり・・・
(確か,鹿児島でも島津藩の大砲を見たような・・・)
やっと探して「天誅組を撃破した大砲」の模造品を見たんやけど・・・
第一印象は「チッチャ(小さい)!」。
いっぺんにイメージ萎んでしもたわ~
無理もないわなぁ~ 造られた時代がかなり違うんやから・・・
「写真;高取町で見た天誅組を撃破した大砲」
高取町で私が見たかったのは,「天誅組を撃破した大砲」。
昨秋,私は高取城に猿石を見に登ったことをブログに書いた。
そこで幕末,高取城を天誅組が攻めようとしたとき,高取藩が「大阪夏の陣のときの大砲」を使用したことを知った。
司馬遼太郎氏の短編「おお大砲」によると、1863年(文久3年)8月26日尊王攘夷急進派、天誅組千余名が五條から来襲し、「大阪夏の陣」で用いた大砲(ブリキトース)を高取藩が六門保管していて、その内使用可能な一門から打 ち出された三貫目玉が五町余(約600m)飛んで天誅組隊士・酒井の兜に当り、彼は一晩中耳鳴りがして眠れなかったという。
私はここのところ,司馬遼太郎に夢中!
今読んでいるのは,『世に棲む日日』の3巻目。
ちょうど関門海峡を通る外国船を長州藩が大砲で砲撃しているところ。
昨年,下関への旅で見た,赤間神宮前の海岸に海峡を向いて置かれていた大砲をイメージし,想像は膨らむばかり・・・
(確か,鹿児島でも島津藩の大砲を見たような・・・)
やっと探して「天誅組を撃破した大砲」の模造品を見たんやけど・・・
第一印象は「チッチャ(小さい)!」。
いっぺんにイメージ萎んでしもたわ~
無理もないわなぁ~ 造られた時代がかなり違うんやから・・・
「写真;高取町で見た天誅組を撃破した大砲」
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