大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

大神教本院

2010年03月17日 | 桜井市
大神神社の大鳥居(一の鳥居)をくぐって少し進んだ参道の右手に,宗教法人・大神教(おおみわきょう)本院がある。
その建物の前には「三輪へ参らば上下かけよ どちら欠いても 片参り(下の教会)」という立て看板が立っていた。
私には「大神神社」と「大神教本院(下の教会?)」の関係が分からない?
それで少し調べてみた。
大神教の前身は、大神神社の神楽や祈祷、御神符・守札などの授与、信者への講社業務といった宗教活動を、大神神社大神教会の名のもとに行なってきた講社組織である。
ところが明治15年(1982)に発令された社教分離令で、こうした宗教活動が一切禁止された。
この社教分離令による三輪信仰の絶滅を憂いた当時の大神神社の禰宜が,明治16年に宮司の了承を得て大神教会を分離独立させて,現在地に「大神教会」を創立したのだという。
今日の記事は,この大神教本院の拝殿に掲げられている白い文字で「大神教」と書かれた長さ2・8m、幅82cmの額のこと。
大神教会の説明によれば、明治時代末期から大正時代の間に、現在の場所に掲げられたという。
平成21年1月、この額に関するニュースが流された。
県立橿原考古学研究所が調査したところ、この額は明治時代に古墳から掘り出され、その後は所在不明になっていた木棺の身(コウヤマキと思われる大木をくり抜き、内側を湾曲させた)の部分であることが判明したという。
古墳の木棺としては最古級のもので、大王クラスの人物を埋葬した木棺が、奇跡的に朽ち果てもせず,額として現在に残っていたことになる。
しかも,木棺が出土した古墳まで特定されているのだ。
その古墳とは、天理市柳本町大塚にある柳本大塚古墳で,大神教本院からほぼ真北へ2.5km進んだ桜井市と天理市の境界にあり,柳本古墳群を構成する全長94mの前方後円墳で、3世紀末から4世紀前半にかけての古墳時代前期前半に築かれたとされている。
どうやら地元の人が木棺材を額として所有していたが、明治35(1902)から36年頃、古物商の仲介で大神神社の宮司が購入し、その後、「大神教」に移されたらしい。
「写真;大神教本院拝殿の額」


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