大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

有朋自遠方来②音羽観音寺への分岐まで

2023年12月03日 | 桜井市
先日のこと、遠方からの朋と談山神社を目指して歩いた。
桜井市倉橋にある崇峻天皇陵に参拝した後、御陵前の道を左折して県道へと出た。

県道との合流点には、崇峻天皇陵を示す石標。
江戸時代、本居宣長もこの石標を見て曲がったんやろか?

現在の県道の様子。
真っ直ぐ下れば桜井の街。
家の前に町石(丁石)発見!

桜井市上の宮に建つ談山神社石の鳥居から一町(丁)ごとに立っている。

その隣りは、以前このブログに書いた下居(おりい)神社への参道。

やっぱり天満宮とある。
下居神社と天満宮の謎は消えない・・・???

さらに談山神社への歩いていたらまた町石を発見。
江戸時代、この辺りから本居宣長は崇峻天皇陵へと戻ったらしい。
現在の榛原駅前に宿泊した本居宣長は、長谷寺にお参りした後、先を急ぎ桜井市慈恩寺辺りから(桜井の町を通らずに)直接、倉橋に至る道を歩いたと『菅笠日記』に書いている。

私お気に入りの展望の良い場所。
倉橋の集落が見える。

昔、崇峻天皇が住んだ処、かつての日本の首都。
向こうに二上山が見える。
二上山には大津皇子。

倉橋には崇峻天皇陵・・・
いろんな人が殺された・・・

再び歩き始めると次の町石を発見。
町石は歩く励みになる!

やがて桜井市下居(おりい)に到着。
この橋を渡って右折すれば『大和尼寺精進日記』の音羽観音寺へ。
但し、山道を約1時間歩いて登らねばならない。
同行の朋に「音羽観音寺へ行ってみるか?」と聞いたらけど、「今日はいい、行ってたら飛鳥に到着出来へん!」との返事やった。
江戸時代、本居宣長は、この下居で神社を探したが、神社の跡らしき場所しか見つけられなかったと書いている。
現在、桜井市倉橋にある下居神社(式内社)と江戸時代に桜井市下居で本居宣長が探した神社と関係があるような気がしてならない。
さらに下居は、かつては「鼓の郷」であったと伝わる。




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (山桜)
2023-12-04 18:55:14
柿の木の段々畑の向こうに二上山・・・日本人の心の故郷風景ですね。談山神社にもまたお参りに行きたいし、音羽観音寺にも・・・有名になりすぎて住職さん、お忙しいでしょうね。
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Unknown (瓜亀仙人)
2023-12-04 20:00:18
山桜さんへ
2週間ほど前に、ご住職と少しお話をしました。
山桜さんの膝の調子も良さそうですし、
音羽観音寺に行ってみませんか!
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Unknown (山桜)
2023-12-05 20:21:05
是非とも、行きたいです~! 何月頃がおすすめですか? 
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Unknown (瓜亀仙人)
2023-12-06 17:56:12
山桜さんへ
春夏秋冬それぞれに、音羽観音寺の良さがあると思います。
でも、今年のような酷暑は避けたいですよね、
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