亀山城の石垣の下で、このお城の天守閣、間違うて取り壊されたんやてぇ・・・
そう思いながら見上げてたら解説板を見かけた。
その解説板によると、
2007年4月,三重県中部を中心としてやや強い地震があり、亀山市中心部では震度5強を観測した。その際,亀山城天守台の石垣の一部が崩落するという被害があった。
その石垣の崩落箇所は,1972年(昭和47年)の台風被害の補修で新たに積んだ部分であり、400年前の江戸時代に築かれた古い部分は、一切被害がなかったという。
当時(江戸時代)、城の石垣は「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれていた石垣構築のプロが作業を指導したというが、コンクリートで固めるのと違い、自然石を積み上げて城を支えるのだから注がれる神経の度合い、気合が違う。また、その石垣構築のプロ集団には、高い技術の蓄積があり、継承されていたんやろう。
おそらく1972年の修復は、崩れた石垣の「入札による復旧工事」という認識でしかなかったんやと思う。
こんな話、いろんなトコで聞くんやけど・・・
やっぱり昔のプロは凄いんやなぁ~
そう思いながら見上げてたら解説板を見かけた。
その解説板によると、
2007年4月,三重県中部を中心としてやや強い地震があり、亀山市中心部では震度5強を観測した。その際,亀山城天守台の石垣の一部が崩落するという被害があった。
その石垣の崩落箇所は,1972年(昭和47年)の台風被害の補修で新たに積んだ部分であり、400年前の江戸時代に築かれた古い部分は、一切被害がなかったという。
当時(江戸時代)、城の石垣は「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれていた石垣構築のプロが作業を指導したというが、コンクリートで固めるのと違い、自然石を積み上げて城を支えるのだから注がれる神経の度合い、気合が違う。また、その石垣構築のプロ集団には、高い技術の蓄積があり、継承されていたんやろう。
おそらく1972年の修復は、崩れた石垣の「入札による復旧工事」という認識でしかなかったんやと思う。
こんな話、いろんなトコで聞くんやけど・・・
やっぱり昔のプロは凄いんやなぁ~
お国が違えどもよく似た風習や技術がありますね。
昨日は2時半にロシナンテで孫守に出掛けました><。
彼いわく・・・miwakoはん10kg痩せておくんなはれ。。
いやぁ、汗だくやから体重減ったと思ったのにぃ。
息子の彼女が岸和田なんですが、だんじりは山側と海側で日にちが違ってるそうです。
勇壮なのはやっぱり、海の男やそうです。どっちも見たいけど、初回は大人しく山側にします。
岸和田って縁を戴いて、気にしてますが地味ですよね。私は5年生まで住吉に居たのですが。
我が家の田んぼの石垣が崩れたことがありました。
肩位の高さの石垣を親父と一緒に積み直したんです。
その作業が大変で・・・
昔の人の技術って凄いですね!
機械もなかったのに・・・
住吉といえば太鼓橋!
長い間、住吉大社に行っていません。
岸和田も・・・
ん~~
とこかに行きたくなってしまいました。
ロシナンテって可愛い名前ですよね!
私はあそこの御馬が大好きで、・・太鼓橋も綺麗だったのを覚えています。
親が多忙だったので隣の人が、好きなとこに連れて行ってやるよと。
何処??と、聞かれて住吉さんて言うと、御祭りの日に連れて行かれた。
夜店も一杯連れ回されたけど、本当はお馬さんを見たかった。
御祭りには、馬が興奮するからいないのです。
よく、子供らしない変わった子や、と言れてました。
昔、叔母の家が阿倍野にあったので何度か連れて行ってもらいました。
>そうなんです、其れと白馬!!
それが今、ロシナンテへと繋がったのでしょうか?
大学に通学用で乗っていた物。
本人の前で、ロシナンテって言おうものならもう・・・
住吉さんの白馬と比べるなんて[泣」><
ロシナンテとご子息とmiwakoさんとの関係,
素敵ですよねぇ~
私もいろいろ車に思い出があります!