話は先日、信州諏訪を旅した時のことにもどる。
諏訪大社下社周辺は、難所であった和田峠の西の入口として、諏訪大社下社の門前町として栄えたという。
古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており、中山道唯一の温泉のある宿場であり、当時の絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれているらしい。
その本陣は岩波家として現在も一部が一般公開されていた。
諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし、広大な庭園を持つことが知られていたが、現在は宅地化が進み、一部のみを見ることができた。
皇女和宮降嫁の際、また明治天皇が宿泊した際奥の座敷を見学することができた。
玄関には、大名家が宿泊している時に掲げる徳川御三家、井伊家などの関札が残っているのを展示してあった。
脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅館として現在も営業している。
旧称は下ノ諏訪。
大規模に観光開発された上諏訪温泉と異なり、小規模な旅館街と入浴施設があるだけで、歓楽的な雰囲気はない。
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、下諏訪宿の宿内家数は315軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠40軒で宿内人口は1,345人であったという。
山猫亭で昼食をとった後、私は諏訪大社下社秋宮から諏訪大社下社春宮へと下諏訪宿をぶらり散歩。
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