大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

ふぐの毒

2009年01月28日 | その他
今日のニュースを見て驚いた。
それは、 「Yのふぐ」のこと
【なじみ薄いフグ、東北6県に規制条例なし…Yで7人中毒
Y県鶴岡市の飲食店でフグの白子(精巣)を食べた7人が意識障害になるなどした中毒事故で、店長(65)は白子料理を作ったのは初めてだった。フグに関する知識もほとんどなかったという。】
私は1月中旬にふぐの本場・山口へ行って食べたばかり。
その時、「ふぐ」を一般の食卓に普及させたのは、あの有名な 山口県出身の政治家、伊藤博文だったと勉強した。
縄文時代頃から、日本では「ふぐ」を食べる文化があったようだ。
当然ながら?「ふぐ」には毒があり、調理法を誤ると毒で死者が出ることがある。ふぐの毒はテトロドトキシンと呼ばれる物質で、0.5mg~1㎎で人を死に至らしめる。これは、青酸カリの約1000倍で、加熱調理等でも無くならない。
特に室町時代以降、「ふぐの毒で部下達に死なれては困る」として、時の為政者達は度々、「河豚食禁止令」を出した。それでも食べようとする人が多くいた。
特に豊臣秀吉が朝鮮に戦争を仕掛けに行った際、下関で兵士達が「ふぐ」を食べて中毒死するのに困り、「河豚食禁止令」を強化したのだとか。
でも江戸時代、小林一茶は、「河豚食わぬ奴には見せな不二の山」として、ふぐを食べない奴には富士山を見せるな、とまで言い切ったとか・・・
明治初期まで「河豚食禁止令」が続ついていたのだ。
明治27年、日清戦争講和会議が下関の春帆楼で開かれた時のこと。
伊藤博文総理大臣と、清の全権大使・李鴻詳が会談したのだが、料亭としては天候の悪化でなかなか活きの良い魚を入手できなかったことから、困った女将が苦肉の策として、ふぐ料理を作らせて、おそるおそる差し出したのだとか。
(伊藤博文は志士として活動していた頃、下関の商人で勤労の志士に多大な協力をした人から食べさせてもらっていたことがあったらしい。)
そして、その時の「ふぐ」の味に感動し。
「これはうまい! 何の魚だ。」と、店に尋ねた。
「・・・ふ、ふぐでございます」
「禁令の魚ではないか。毒で死ぬ可能性もあるぞ!」
「ですが、きちんと調理をすれば問題はありません。」
「なるほど。ならば、こんなに美味しい魚を食べられないのは勿体ない。山口県と福岡県に限って許そう」と云うわけで、ふぐが食べられるようになったとのこと。
「写真;関門海峡」



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1 コメント

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それでも食べる人の執念 (ひー)
2012-08-24 15:02:22
中学生の時の先生が言ってました。
「はじめにフグを食べて死んだ人がおるやろ?そやけどそのあとにもやっぱりフグを食べる人がいる。食べた人の中で、死ぬ人も死なない人もおって、ほんなら大丈夫な部位と大丈夫じゃない部位があるなって解るようになる。死ぬかもしれんけど、食べる人がおったから、今、大丈夫なところとそうでないところとが解るようになってん。先人の犠牲の上で美味しく食べれるわけやけど、その食に対する執念ってすごいなって先生は思う。だって、命がけやねんで」
フグというとこの話を思い出します。
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