![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/15/6fc1857843659b79690ea08be1ad5804.jpg)
先日、“まいど1号”が作られた東大阪の町を走っていたら、“司馬遼太郎記念館”の表示を見かけた。
“司馬遼太郎”の名前を見て、私は、すぐに昨秋に訪れた奈良県・當麻の“竹内街道”の光景をイメージした。
しかしここは東大阪、彼の自宅がこの下町にあったとは・・・
記念館は司馬遼太郎の自宅と、安藤忠雄氏の設計という建物で構成されていた。
安藤氏が、「蔵書で囲われて、闇に包み込まれたような、 かすかな光の空間のイメージ」を原点に、周辺の環境とも調和するよう設計されたという。
正門を入れば雑木林風の庭。
司馬遼太郎は、この庭を眺めるのが好きだったという。
出筆活動の合間、行き詰まった時、彼は四季折々の自然を この庭で感じていたのだろうか?
記念館までの途中、生前のままに保存された自宅書斎を窓越しに見ることができた。
その書斎を見て、なんとも言えない感動を私は受けた。
私は暫くの間、窓ガラス越しにその内部を眺めた。
『街道をゆく』などは、ここで書かれてたんや・・・
回廊から記念館に入ると、そこは蔵書の世界。
高さ11メートルの壁面に約3400の書棚が張り付く大書架があり、約2万冊の書籍が収まっていた。
階段を下りてフロアに立ち2万冊の蔵書を眺めようとしたら、真っ先に目に飛び込んできたのが中尾佐助先生の『照葉樹林文化』と『栽培植物と農耕の起源』。
なんたる偶然? それとも何かのお導き? 正直驚いた!
中尾佐助先生のヒマラヤやインドの旅の話、楽しかったなぁ~
凄い人数が集まり、講義室が溢れてしまった最終講義を受けに行ったよなぁ~
係の人が、最近、記念館の天井に坂本竜馬の姿をした染みが現れたと教えて下さった。
私も11メートル上の天井の染みを見上げ、その不思議を仰ぎ見た。
きっと口を開けて天井の龍馬を見てたんやろなぁ~
その後、ホールでビデオ視聴。
ビデオに竹内街道が登場した。
やっぱり、司馬遼太郎と竹内街道の関係は深かったんやぁ~
外へ出たら、館の周囲には菜の花のプランターと鉢植え。
2月12日のために、地域の方や学生などがボランティアで栽培しているのだという。
2月12日は司馬遼太郎の命日、“菜の花忌”というそうだ。
「写真;司馬遼太郎記念館・自宅書斎」
“司馬遼太郎”の名前を見て、私は、すぐに昨秋に訪れた奈良県・當麻の“竹内街道”の光景をイメージした。
しかしここは東大阪、彼の自宅がこの下町にあったとは・・・
記念館は司馬遼太郎の自宅と、安藤忠雄氏の設計という建物で構成されていた。
安藤氏が、「蔵書で囲われて、闇に包み込まれたような、 かすかな光の空間のイメージ」を原点に、周辺の環境とも調和するよう設計されたという。
正門を入れば雑木林風の庭。
司馬遼太郎は、この庭を眺めるのが好きだったという。
出筆活動の合間、行き詰まった時、彼は四季折々の自然を この庭で感じていたのだろうか?
記念館までの途中、生前のままに保存された自宅書斎を窓越しに見ることができた。
その書斎を見て、なんとも言えない感動を私は受けた。
私は暫くの間、窓ガラス越しにその内部を眺めた。
『街道をゆく』などは、ここで書かれてたんや・・・
回廊から記念館に入ると、そこは蔵書の世界。
高さ11メートルの壁面に約3400の書棚が張り付く大書架があり、約2万冊の書籍が収まっていた。
階段を下りてフロアに立ち2万冊の蔵書を眺めようとしたら、真っ先に目に飛び込んできたのが中尾佐助先生の『照葉樹林文化』と『栽培植物と農耕の起源』。
なんたる偶然? それとも何かのお導き? 正直驚いた!
中尾佐助先生のヒマラヤやインドの旅の話、楽しかったなぁ~
凄い人数が集まり、講義室が溢れてしまった最終講義を受けに行ったよなぁ~
係の人が、最近、記念館の天井に坂本竜馬の姿をした染みが現れたと教えて下さった。
私も11メートル上の天井の染みを見上げ、その不思議を仰ぎ見た。
きっと口を開けて天井の龍馬を見てたんやろなぁ~
その後、ホールでビデオ視聴。
ビデオに竹内街道が登場した。
やっぱり、司馬遼太郎と竹内街道の関係は深かったんやぁ~
外へ出たら、館の周囲には菜の花のプランターと鉢植え。
2月12日のために、地域の方や学生などがボランティアで栽培しているのだという。
2月12日は司馬遼太郎の命日、“菜の花忌”というそうだ。
「写真;司馬遼太郎記念館・自宅書斎」
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