大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

二上山雄岳“大津皇子二上山墓”

2011年06月01日 | 大和高田・葛城市・香芝市
写真は二上山雌岳から望む二上山雄岳(標高517m)。
二上山の雄岳の頂上には,宮内庁が管理する「大津皇子二上山墓」がある。
大津皇子は、第40代天武天皇の第3皇子として生まれ、余りにも勇敢で聡明な資質のため、天皇の死後わずか1ケ月にして、父の天武天皇の皇后(継母)で、母の妹(叔母)でもあった第41代持統天皇に謀反の罪をきせられて、24歳の若さで死罪に処せられた。
妃の山辺皇女は、髪振り乱し、裸足で駆けつけ、夫の死骸に取りすがって泣きじゃくり、彼女も哀れにも悲嘆の内に、後追い自殺をしたという。

姉の「大伯皇女」が弟を偲んで詠んだ歌
うつそみのひとにあるわれや 明日よりは二上山を愛弟世と我が見む
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21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (miwako)
2011-06-01 11:17:37
何かの本で強烈に覚えています。
これまたうろ覚えなれど、出かけての帰り道に同行者に騙されて
二上山に上ったら、自害を強要されて止む無く命を絶ったと・・
大田皇女が存命だったら、優れた天皇になられたのではないでしょうか。
私的には、二上山は上りたくても心悲しくて上れないのです。
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Unknown (kazuyoo60)
2011-06-01 14:45:22
悲劇ですね。小学校の時に登山してこの話を聞きました。権力争いはかくも悲惨なのですね。
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凄いタイミング (山口ももり)
2011-06-01 18:18:50
秀に1回ヒアルロン酸の注射を膝にして、ニ上山に登ろうと思っているところへこの記事です。足が・・・なあ???517メートルですか・・・のぼりはいいんですけど・・・下りがねえ・・・・今、改めて井上靖の「額田の王」を読んでいます。先ずは有間皇子・・・狂人のふりをしていても殺されました。父の孝徳帝は失意の内に死。大いに残酷な血の争いですね。中大兄皇子・・・難波から明日香へ、岡本宮跡に再び宮殿を建てたが火災・・・物語は深刻です。さ・あ・あ・・続きを読みましょう。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-06-01 18:42:34
miwakoさんへ
たしか私の記憶では・・・
大津皇子は二上山で自害していない???
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-06-01 18:45:43
kazuyoo60さんへ
桜井市にある吉備池の堤に大津皇子の万葉の歌碑が建てられています。
また写真をアップしたいと思います。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-06-01 18:46:43
ももりさんへ
井上靖の「額田の王」ですか・・・
私も読んでみます!
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Unknown (miwako)
2011-06-01 18:53:18
そうですか・・・
20年前か、、もっと前か図書館で借りてきて読み漁ったのです。
作者も、題名も覚えてませんが悲しかったのを覚えてます・。・:
古代奈良の事に惹かれていました。。
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何度目か・・・でも (山口ももり)
2011-06-02 08:45:45
この本、何度目になるかわからないですけど・・・今回改めて凄い資料の読み込みのあとを知りました。スッゴイ!!!ゼヒゼヒ・・お読みください。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-06-02 18:31:02
miwakoさんへ
私もうろ覚えなので,自信がありません。
それに,昔々のことですし・・・
でも,本当に悲しい話ですよねぇ~
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-06-02 18:34:55
ももりさんへ
>今回改めて凄い資料の読み込みのあとを知りました。
作家の方の資料調べって凄いんでしょうねぇ~
司馬遼太郎記念館(東大阪市)を訪ねてそう感じました。
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