写真は二上山雌岳から望む二上山雄岳(標高517m)。
二上山の雄岳の頂上には,宮内庁が管理する「大津皇子二上山墓」がある。
大津皇子は、第40代天武天皇の第3皇子として生まれ、余りにも勇敢で聡明な資質のため、天皇の死後わずか1ケ月にして、父の天武天皇の皇后(継母)で、母の妹(叔母)でもあった第41代持統天皇に謀反の罪をきせられて、24歳の若さで死罪に処せられた。
妃の山辺皇女は、髪振り乱し、裸足で駆けつけ、夫の死骸に取りすがって泣きじゃくり、彼女も哀れにも悲嘆の内に、後追い自殺をしたという。
姉の「大伯皇女」が弟を偲んで詠んだ歌
うつそみのひとにあるわれや 明日よりは二上山を愛弟世と我が見む
二上山の雄岳の頂上には,宮内庁が管理する「大津皇子二上山墓」がある。
大津皇子は、第40代天武天皇の第3皇子として生まれ、余りにも勇敢で聡明な資質のため、天皇の死後わずか1ケ月にして、父の天武天皇の皇后(継母)で、母の妹(叔母)でもあった第41代持統天皇に謀反の罪をきせられて、24歳の若さで死罪に処せられた。
妃の山辺皇女は、髪振り乱し、裸足で駆けつけ、夫の死骸に取りすがって泣きじゃくり、彼女も哀れにも悲嘆の内に、後追い自殺をしたという。
姉の「大伯皇女」が弟を偲んで詠んだ歌
うつそみのひとにあるわれや 明日よりは二上山を愛弟世と我が見む
>週末からずーっと、ハードな毎日です。
お互い週末を楽しみましょう!
頑張ってみますが、
いままで偉い学者さんが探しても特定できなかったこと。
ももりさん、長生きしてくださいね!
週末からずーっと、ハードな毎日です。
落ち着いたら図書館いって、本を漁ってキマ~ス。
明朝は7時半に出発です、帰りは市美術館に寄ろうとももってます。
瓜亀様、日曜夕方くらいに太陽の道とカタカムナの道、夏至、冬至線と三輪山の事うろ覚えながらお聞き下さいませね。
ではでは、万葉のロマン、お休みなさいZZZ
>大津皇子は香具山の麓、いわれの池で刑死・・・
私も「いわれの池」を探しているひとりです。
現在,香具山から東にある吉備池(桜井市)の堤に大津皇子の歌碑が建てられています。
吉備池の南には池ノ内(桜井市)という地名が残っています。
香具山の北麓には東池尻(橿原市),畝傍山の南麓には西池尻(橿原市)があります。
二上山麓にある当麻寺の北側の公園に大伯皇女の歌碑が建てられています。
うつそみのひとにあるわれや 明日よりは二上山を愛弟世と我が見む
そこから二上山は間近,見上げる状態です。
私は額田王が三輪山を詠んだ歌が大好きです。
この歌は,蒲生野(滋賀県)遊猟に従駕したときの歌ですよね。
残された数々の歌には狂おしいほどの思慕が溢れていて
男女の愛を感じてしまいます。 その上、姉は斎王ですものね…。
今、図書館から借りて読んでいる「大和燃ゆ」八木荘司作の下巻のラストに・・:
あかねさす 紫野ゆき 標野ゆき 野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我れ恋ひめやも
どしたねえ。。師匠さんに、見つかったら怒られるかも~~~><:
>今回改めて凄い資料の読み込みのあとを知りました。
作家の方の資料調べって凄いんでしょうねぇ~
司馬遼太郎記念館(東大阪市)を訪ねてそう感じました。
私もうろ覚えなので,自信がありません。
それに,昔々のことですし・・・
でも,本当に悲しい話ですよねぇ~
20年前か、、もっと前か図書館で借りてきて読み漁ったのです。
作者も、題名も覚えてませんが悲しかったのを覚えてます・。・:
古代奈良の事に惹かれていました。。
井上靖の「額田の王」ですか・・・
私も読んでみます!
桜井市にある吉備池の堤に大津皇子の万葉の歌碑が建てられています。
また写真をアップしたいと思います。
たしか私の記憶では・・・
大津皇子は二上山で自害していない???
これまたうろ覚えなれど、出かけての帰り道に同行者に騙されて
二上山に上ったら、自害を強要されて止む無く命を絶ったと・・
大田皇女が存命だったら、優れた天皇になられたのではないでしょうか。
私的には、二上山は上りたくても心悲しくて上れないのです。