近江八幡の町を散策していると、“朝鮮人街道”という文字の刻まれた道標を見かけた。
そのことについて調べてみたいと思った。
「滋賀県は古代から韓国・朝鮮からの渡来人との交流が盛んな地であった。湖東を縦断する朝鮮人街道は江戸時代の両国の交流を象徴するものであろう。慶長12年(1607)から文化8年(1811)までの約200年間に亘って12回の朝鮮通信使が来日した。そのうち10回が野洲から中山道を外れ、近江八幡を通り彦根鳥居本で再び中山道と合流する約40kmの道を通った。これが朝鮮人街道または彦根道と呼ばれている道である。」
なぜ調べてみたいと思ったのか。
それは、我が家の近くの長谷寺の参道で“出雲人形”が売られている。
昔から長谷寺参詣の土産として出雲という集落で作られている土人形である。
その“出雲人形”の中に“朝鮮通信使”ではないかと考えられるデザインの人形があるのだ。
奈良・長谷寺と朝鮮通信使との関係は?
興味と関心は深まるばかり・・・
そのことについて調べてみたいと思った。
「滋賀県は古代から韓国・朝鮮からの渡来人との交流が盛んな地であった。湖東を縦断する朝鮮人街道は江戸時代の両国の交流を象徴するものであろう。慶長12年(1607)から文化8年(1811)までの約200年間に亘って12回の朝鮮通信使が来日した。そのうち10回が野洲から中山道を外れ、近江八幡を通り彦根鳥居本で再び中山道と合流する約40kmの道を通った。これが朝鮮人街道または彦根道と呼ばれている道である。」
なぜ調べてみたいと思ったのか。
それは、我が家の近くの長谷寺の参道で“出雲人形”が売られている。
昔から長谷寺参詣の土産として出雲という集落で作られている土人形である。
その“出雲人形”の中に“朝鮮通信使”ではないかと考えられるデザインの人形があるのだ。
奈良・長谷寺と朝鮮通信使との関係は?
興味と関心は深まるばかり・・・
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