当麻寺の境内を散策していると、突然“善人”という文字が目に入ってきた。
ドキットしたのは、善人”と聞くと心の中に “?”マークが点灯するからやろう・・・
やっぱりお寺で“善人”と聞くと『悪人正機説』。
鎌倉時代に活躍された親鸞聖人の言葉で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という悪人正機説と呼ばれる教えがある。
親鸞さんは、自力作善の善人が自ら悟りを開こうとして仏に頼る気持ちが薄いのに対して、悪人は自己の力によって悟りえず仏の救済に頼るしかないので、悪人こそ阿弥陀さまの救いの対象になるのだとお考えになられた。
そこで、一般には悪人が救われるのだから善人が救われて当然と考えがちのところを、親鸞さんは、逆に善人が救われるのであるから阿弥陀さまの救いの対象である悪人が救われないはずはないと、この言葉を残されたのだと言われている。
私はやっぱり悪人なんやろなぁ・・・
写真を正面から撮ったら、そこに自分が写っているのを見て驚き慌てて消去した。
華の香は
風にさからいては行かず
栴檀(せんだん)もタガラも
マリカもまた然り
されど
善き人の香りは
風にさからいつつもゆく
善き人の徳は
すべての方に薫る (法句経54番)
ドキットしたのは、善人”と聞くと心の中に “?”マークが点灯するからやろう・・・
やっぱりお寺で“善人”と聞くと『悪人正機説』。
鎌倉時代に活躍された親鸞聖人の言葉で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という悪人正機説と呼ばれる教えがある。
親鸞さんは、自力作善の善人が自ら悟りを開こうとして仏に頼る気持ちが薄いのに対して、悪人は自己の力によって悟りえず仏の救済に頼るしかないので、悪人こそ阿弥陀さまの救いの対象になるのだとお考えになられた。
そこで、一般には悪人が救われるのだから善人が救われて当然と考えがちのところを、親鸞さんは、逆に善人が救われるのであるから阿弥陀さまの救いの対象である悪人が救われないはずはないと、この言葉を残されたのだと言われている。
私はやっぱり悪人なんやろなぁ・・・
写真を正面から撮ったら、そこに自分が写っているのを見て驚き慌てて消去した。
華の香は
風にさからいては行かず
栴檀(せんだん)もタガラも
マリカもまた然り
されど
善き人の香りは
風にさからいつつもゆく
善き人の徳は
すべての方に薫る (法句経54番)
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