大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

二宮尊徳の後ろは土舞台

2010年11月17日 | 桜井市
昨日の二宮尊徳が立つ小学校の裏山には,「土舞台」がある。
「土舞台」とは・・・
「土舞台」については「日本書紀」の推古天皇20年、時の摂政聖徳太子に、百済人味摩之が我が国に帰化して、「呉に学びて、伎楽の舞を得ました」と申し上げた。
そこで太子は「桜井」にて我が国の少年を集めて、この伎楽の舞を習わしめたとしるす。
伎楽とは、古代チベットやインドの仮面劇で西域をへて中国に伝わり、散楽といわれたもの。
我が国には「神楽」があったがこの時以来、宮廷に伎楽が加わって日本の芸能は幅広い豊かなものとなった。
ところが、宮廷が衰えた武家時代に、これらの音楽家は天王寺や住吉、春日等大社寺に保護されて、民間でも演技を行うようになっていった。
現在、この史蹟地のことは、江戸時代の「大和名所図絵」にも紹介されているが、一般にはほとんど知られなくなった。

戦後、桜井市出身の文筆家保田與重郎氏が、これだけの史蹟地を顕彰しないことはないと考えられ、市内有志にはかり趣意書をしたためられた。
「聖徳太子伝暦」をも調べ、「土舞台」は、日本最初の国立劇場であり、また、太子は国立演劇研究所をも併置して芸能文化のため尽くされた、といった17枚に及ぶ長文を執筆配布。


やがて昭和47年11月4日、「土舞台」と刻した標石の前で顕彰会に市が後援で盛大な顕彰式典が挙行されたという。
「写真;小学校からの眺め ①南東;音羽山, ②東;鳥見山, ③北東;三輪山」
コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新校舎へ向かう二宮尊徳 | トップ | 紅葉前線真っ只中・談山神社 »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kazuyoo60)
2010-11-17 18:11:39
多武峰の山のようですね。土舞台のことは知りませんでした。
返信する
Unknown (nyar-nyar)
2010-11-17 20:54:46
素敵な風景ですね、
古今東西の芸術が混じり合って、
すべてのものが出来あがって行くのだと思います。
返信する
いいお天気のようですね (山口ももり)
2010-11-18 10:15:45
こういう写真を拝見するとムズムズ。音羽山,鳥見山・・ですか・・・沢山あるんやなあ
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2010-11-18 17:52:23
kazuyoo60さんへ
多武峰の山,正解です!
今日のブログの写真は談山神社の紅葉です。
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2010-11-18 17:54:20
nyar-nyarさんへ
>古今東西の芸術が混じり合って・・・
飛鳥に都が遷るまで,この国の中心,今の東京だったところです。
今は本当に田舎です。
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2010-11-18 17:55:32
ももりさんへ
ここ数日,どこへお出かけだったのでしょう?
ブログ読むのが楽しみです!
返信する
へ・え・え・・うれしい (山口ももり)
2010-11-19 09:04:00
うれしいなあ!!!藤村を書き始めてからブログの訪問者は2~3人。でも読んでくださってるお方はいらっしゃるんや。藤村、明治の人です。男尊女卑の時代、女性からは超然としていたい。しかし・・・オスの部分も濃厚にあります。その葛藤が理解できないと、ちょっと藤村は読めないなあ。今風に自堕落、悩みもなくセックス・・・っていう時代の小説ではないんです。むしろ、マジメすぎてイジラシイくらい・・・ですよ。
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2010-11-19 21:53:07
ももりさんへ
今,BSで鴎外の「舞姫」を見ていたんですが,藤村はさらに難しいです。
それで,コメント出来なくって・・・
返信する

コメントを投稿

桜井市」カテゴリの最新記事