大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

鑵子塚古墳へ

2010年09月29日 | 明日香村・高取町
牽牛子塚古墳を(背伸びをしながら)デジカメを持った手を高く挙げて見学した後,その近くにある「鑵子(かんす)塚古墳」に向かった。
「牽牛子塚古墳」,「鑵子塚古墳」
2つの古墳ともなんて難しい名前・・・
この古墳も,2008年2月にニュースに登場した。
【石400個大ドーム 「石舞台」上回り最大級】
真弓鑵子塚古墳は、1962年に石室内の実測調査が行われ、6世紀後半の築造とされていた。このたび、明日香村教委が国史跡指定を目指して初めて本格的に発掘調査を行ない、以下のことが判明したと発表した。
●出土土器から、真弓鑵子塚古墳の築造時期は6世紀半ばで、墳丘は直径約40メートルの円墳、石室の床面積は約28平方メートルと判明した。石室の規模はこの時期としては最大規模で、渡来系氏族の東漢(やまとのあや)氏の墓との見方が有力である。(*)
●石室北側には、長さ約4メートル、幅約2メートルの奥室が設けられていた。石室内には奥室を含め、2つの石棺と1つの木棺が納められていたとみられる。
●渡来系の特徴とされる非実用的なミニチュア土器も出土した。
(*) 朝日新聞では、猪熊教授が蘇我稲目の墓説を出しておられる。
明日香村教委は「東漢氏は蘇我氏に従属していたというイメージが強いが、6世紀半ばにはそれなりの地位の高さ、安定した地盤を持っていた可能性が高い」としている。

この古墳は,貝吹山(標高約210m)から南に伸びる尾根端部の瘤状の地形を利用して作られている。
周囲の棚田に囲われるような位置にあるので、一目で古墳とわかった。
周囲の棚田には,白い蕎麦の花が咲いていた。
幻想的な風景で,白い海に浮かぶ濃緑の島のようやった。
「写真;鑵子塚古墳」
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
渡来系の特徴とされる非実用的なミニチュア土器 (山口ももり)
2010-09-30 07:34:22
渡来系の特徴とされる非実用的なミニチュア土器・・・・それって興味シンシンです。
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益田岩船 (瓜亀仙人)
2010-09-30 17:27:57
ももりさんへ
こ古墳からは,益田岩船も近いのです。
何か関係があるような,無いような???
残念ながら石室を見学することは出来ませんでした。
見たかった~
石舞台より大きな石室を・・・
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Unknown (nyar-nyar)
2010-09-30 18:40:29
青々とした田んぼも黄金色に変わりつつあるんですね、もうすぐ新米でしょうか?
ご飯が進みますよね 笑
かんす塚、けんごし塚、
変換が出来ません・・・(><)
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稲刈りの季節 (瓜亀仙人)
2010-10-01 17:16:05
nyar-nyarさんへ
これから大和路は稲刈りの季節。
我が家も明日か明後日に,稲刈りをしたいと思っています。
心配なのは天気です・・・
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