大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

貝吹山の眺め

2012年02月24日 | 明日香村・高取町
写真は、明日香・甘樫丘から南西の眺め。
遠くに聳えるのは県境となる葛城山(右)、金剛山(左)。
その手前にあるのが、橿原市と高取町の境界にある標高210mの“貝吹山”。
その“貝吹山”の山頂には、昔、お城があったという。
貝吹山城は、南北朝時代に越智(おち)氏によって築かれた。 南麓にある越智氏の本拠越智城の詰の城として、また北の平野部への進出拠点となっていた。越智氏の盛衰と共に幾度も戦いの舞台となった貝吹山城は、天文15年に筒井順昭に攻められ開城した。筒井氏の後、松永氏の持ち城となったが、永禄9年、越智家益が貝吹山城復帰を果たした。 その後、織田信長の命による一国破却令により廃城となったという。
それに、貝吹山や近くの越智丘陵の尾根上には、古墳時代に約210基が築かれたことがわかっている。その大部分は群集墳と呼ばれる直径10~20mの円墳で、墓壙を掘って木棺を直接埋葬している。ところが古墳時代後期になると、貝吹山の南麓周辺に横穴式石室を持つ古墳(鑵子塚(かんすづか)、マルコ山、束明神など)が多く築かれるようになる。
春になったら、貝吹山に登ってみたいなぁ~
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4 コメント

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ここも戦場に・・・ (ちゃぐまま)
2012-02-24 22:45:57
なだらかな山稜に囲まれて平和そうに見えるのですがここも戦場になったのですね。
筒井氏、松永氏など戦国時代に見る名前ですが、このあたりに松永氏は出てきていたのですね。
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Unknown (瓜亀仙人)
2012-02-26 11:01:51
ちゃぐままさんへ
ここのとこず~っと、お炬燵に脚をつっこんで司馬遼太郎。
昨夜も1冊読み終えました。
だから、頭の中は戦国時代で満タンなのです!
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Unknown (Unknown)
2012-02-28 09:09:06
標高210m・・・これならのぼれそう。おちの郎女って言う方がいましたよねえ。越智丘陵っていうんですか。面白いなあ!!!春になったら又でかけます。
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Unknown (瓜亀仙人)
2012-02-28 16:14:41
ももりさんへ
この貝吹山の東側(写真の左端)は、明日村との境にもなっています。
ここ近年話題になった古墳が、いくつも並んでいるんですよ!
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