大台ヶ原の牛石ヶ原で神武天皇の銅像を見かけた。
当地は神武天皇東征の砌、八咫烏の先導で熊野から北上して来て、国見をされた所だという。
明治24年(1891)に大台ヶ原の開拓を思い立って入山した古川嵩氏が、大台ヶ原山頂を一人で開拓すると共に修験者として厳しい荒行に励み、ついに会得して「神習大台教」を樹立し、開祖古川氏に信者も次第に増加して明治26年に大台教本殿の建築に取り掛かり明治32年8月に完成した。
大台教の信者は尾鷲や北山の人が多く、昭和2年に御大典を記念して山頂に神武天皇の銅像を建てる事となった。
古川翁が全国を廻って勧進され、重さ10トンの銅像を発注し、分解して鋳造元の大阪から三重県尾鷲を廻って木材運搬用ケーブルで途中まで引上げ、後は人夫20人で70日かかって引上げた。
費用はコーヒー1杯10銭の時代、当時の値段で制作費が3千円、輸送費が3万円だったという。
当地は神武天皇東征の砌、八咫烏の先導で熊野から北上して来て、国見をされた所だという。
明治24年(1891)に大台ヶ原の開拓を思い立って入山した古川嵩氏が、大台ヶ原山頂を一人で開拓すると共に修験者として厳しい荒行に励み、ついに会得して「神習大台教」を樹立し、開祖古川氏に信者も次第に増加して明治26年に大台教本殿の建築に取り掛かり明治32年8月に完成した。
大台教の信者は尾鷲や北山の人が多く、昭和2年に御大典を記念して山頂に神武天皇の銅像を建てる事となった。
古川翁が全国を廻って勧進され、重さ10トンの銅像を発注し、分解して鋳造元の大阪から三重県尾鷲を廻って木材運搬用ケーブルで途中まで引上げ、後は人夫20人で70日かかって引上げた。
費用はコーヒー1杯10銭の時代、当時の値段で制作費が3千円、輸送費が3万円だったという。
大台ケ原の山頂付近で開墾をしようとしたというのですから、本当に凄いなぁ~って思います。
山と宗教・・・
まだまだ、私には分からないことがいっぱいです。
神武天皇も、よくこんなけわしい山を越えて大和を目指したもんですねぇ~