昨日,大津皇子が住んでいたといわれる「訳語田(おさだ)宮」の前を通過した。
奈良県桜井市戒重(かいじゅう)にある春日神社。
慌ててカメラでパチリ!
道路の前方には近鉄大阪線の高架が見える。
この道路,道なりに走っていくと飛鳥に通じる。
「いわれ池」はどこにあったん?
@訳語田
第三十代敏達天皇は百済宮のあと,新たに訳語田に宮をつくった。これを幸王宮(さきたまのみや)という。大津皇子の家はこの宮がおかれた訳語田にあった。
しかし,天武天皇が崩御した翌月の686年10月2日,川島皇子の密告によって謀反の疑いをかけられ,皇子の従者30余人とともに捕えられてしまう。
そして,翌3日に訳語田の家で自害された。24歳の若さであった。
これは鵜野讃良皇女が自分の実の子の草壁皇子を次の天皇にするためにはかったことだとも言われるが不明。
大津皇子の妃の山辺皇女は裸足で髪をふり乱して駆けつけ同日殉死したという。
日本最古の漢詩集「懐風藻」には大津皇子の辞世の漢詩「五言臨終一絶」が収められている。
金鳥臨西舎(太陽が西に沈む時)
鼓声催短命(時を告げる大鼓の音が短命を催す)
泉路無賓主(死出の旅に客はいない)
此夕離家向(夕刻に家を出てどこに向かうのか)
訳語田家で死期を悟った皇子が詠んだ。
奈良県桜井市戒重(かいじゅう)にある春日神社。
慌ててカメラでパチリ!
道路の前方には近鉄大阪線の高架が見える。
この道路,道なりに走っていくと飛鳥に通じる。
「いわれ池」はどこにあったん?
@訳語田
第三十代敏達天皇は百済宮のあと,新たに訳語田に宮をつくった。これを幸王宮(さきたまのみや)という。大津皇子の家はこの宮がおかれた訳語田にあった。
しかし,天武天皇が崩御した翌月の686年10月2日,川島皇子の密告によって謀反の疑いをかけられ,皇子の従者30余人とともに捕えられてしまう。
そして,翌3日に訳語田の家で自害された。24歳の若さであった。
これは鵜野讃良皇女が自分の実の子の草壁皇子を次の天皇にするためにはかったことだとも言われるが不明。
大津皇子の妃の山辺皇女は裸足で髪をふり乱して駆けつけ同日殉死したという。
日本最古の漢詩集「懐風藻」には大津皇子の辞世の漢詩「五言臨終一絶」が収められている。
金鳥臨西舎(太陽が西に沈む時)
鼓声催短命(時を告げる大鼓の音が短命を催す)
泉路無賓主(死出の旅に客はいない)
此夕離家向(夕刻に家を出てどこに向かうのか)
訳語田家で死期を悟った皇子が詠んだ。
今日はコズミックダイアリーの水晶の月の水晶の日だそうです。
純白な波動の願いが叶う日とありました。
小さな文字は敵いません、文庫本はギブアップです。
古代奈良は、悲しすぎますね ><:
今も、権力 名声 お金に縁の無い庶民なれど菅さん見ていて
つくづく、幸せやと思います。大感謝です。
自分の子供が可愛いのは当然としても、何とも酷いことですね。
>小さな文字は敵いません、文庫本はギブアップです。
昨日も、小さな文字に悩まされてしまいました。
ん・・・なんとかならへんもんやろか・・・
ただ、老眼鏡をかけたらええだけなんやけど・・・
>こんな大らかなお歌を読まれた持統天皇が、いくら、わが子が可愛いとはいえ・・・
そうですよねぇ~
いつの時代も、我が子を思うんですよねぇ~
我が子に食事をあたえない人もいるのですが・・・
>この前は通ってるはずですが。
そうでしょう!
きっと通っておられるはず。
今度通ると、あっここや!になるはずです。