![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/23/c9abe008618d5ca21ca292bf21b33666.jpg)
おふさ観音の拝観を終えて駐車場へと歩いた。
門前には「総本家さなぶりや」。
今日の土産は,もちろん「さなぶり餅」に決まり!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/bb/4486735081185ef8f46735f303e91b42.jpg)
「総本家さなぶりや」のHPによると,
戦後はたえて久しくなりましたが、古来、つつがなく田植えを終わった大和の農家では、さなぶり餅を搗いて田の神に供え、ともどもに畔道で食して喜んだ習慣がございました。
ところで、この「さなぶり餅」は糯米(もちごめ)の餅ではなく、正真の小麦餅で、独特の舌ざわりはえもいえず、ありし日の、旅の僧や俳諧師もその風味と野趣を賞味したと。
これは在所々々の故老の話でございますが、今日、ほんもの志向がいわれる折柄、当然ながら小麦餅復活を強く求める方がたが多くなりました。
そこで私どもではそれにお応えし、大和国ン中(くんなか)の名物に仕上げんものとの微衷で、つぶし小麦やきな粉などに破格の超一級を用い、製法の苦心を重ねました結果、
往時をはるかに凌駕する本品を精製することができました。百パーセントの手作りでございます。
「さなぶりやの小麦もち」のことを「さなぶり餅」といいます。一般には「半夏生餅(はんげしょうもち)」とかそのまま「小麦餅」といいます。
「さなぶり」の「さ」は田の神様。「なぶり」は、昇を表現した言葉といわれています。田植えを終えた農家の人たちが無事農作業を終えたことを、田の神様に感謝しお供え物をして共に食し休息をした日のことをいいます。
一方、半夏生というのは、夏至から数えて11日目をいいますが、(1年365日の丁度半分)田植えはこの日までに終えないと、それ以降は田圃にいくら水が豊富にあっても稲作の収穫は半分になると言われ、半夏半作・半夏半農という言葉もあります。ちなみに丁度この頃は、半夏生の花が咲きます。三白草ともいわれるこの花は、上から3枚目までの緑の葉の半分が白く可愛い花でご存知の方も多いと思いますが、その水無月、葉月の季節を思い浮かばせるのにふさわしい花です。半夏生餅は季節を思い出させ、そう名付けられたのでしょう。
小麦餅は、昔から大和の国・南河内・北和歌山地方で食されていたようです。(三つの地域では共に半夏生の日に搗く慣わしが現存しています)大和は素麺で知られていますように、昔から小麦の文化がありました。大和の農家には小麦が身近にあり、餅を搗く時に小麦を混ぜて搗き込み、きな粉をつけていただくものです。大和の人にとっては誰が食べても懐かしく郷愁をそそる味です。
小麦を混ぜることで歯切れが良く、硬くなりにくく軟らかさを保ちます。餅米に小麦、きな粉(大豆粉)の栄養のバランスはまことに絶妙の取り合わせとなってきます。餅米だけでは不足がちなビタミンB1・タンパク質、植物性の脂肪酸・植物繊維・カリウムや鉄が加わります。先人が特に栄養のことを考えた訳でもないと思いますが自然に備わった美味しさが受け継がれていったものと思われます。お供えのお下がりは、硬くなりにくく軟らかで美味しく胸焼けせず体の調子が良く、そして家にある小麦も食べてしまうという一石二鳥も三鳥ものお餅だったのではないでしょうか。
門前には「総本家さなぶりや」。
今日の土産は,もちろん「さなぶり餅」に決まり!
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「総本家さなぶりや」のHPによると,
戦後はたえて久しくなりましたが、古来、つつがなく田植えを終わった大和の農家では、さなぶり餅を搗いて田の神に供え、ともどもに畔道で食して喜んだ習慣がございました。
ところで、この「さなぶり餅」は糯米(もちごめ)の餅ではなく、正真の小麦餅で、独特の舌ざわりはえもいえず、ありし日の、旅の僧や俳諧師もその風味と野趣を賞味したと。
これは在所々々の故老の話でございますが、今日、ほんもの志向がいわれる折柄、当然ながら小麦餅復活を強く求める方がたが多くなりました。
そこで私どもではそれにお応えし、大和国ン中(くんなか)の名物に仕上げんものとの微衷で、つぶし小麦やきな粉などに破格の超一級を用い、製法の苦心を重ねました結果、
往時をはるかに凌駕する本品を精製することができました。百パーセントの手作りでございます。
「さなぶりやの小麦もち」のことを「さなぶり餅」といいます。一般には「半夏生餅(はんげしょうもち)」とかそのまま「小麦餅」といいます。
「さなぶり」の「さ」は田の神様。「なぶり」は、昇を表現した言葉といわれています。田植えを終えた農家の人たちが無事農作業を終えたことを、田の神様に感謝しお供え物をして共に食し休息をした日のことをいいます。
一方、半夏生というのは、夏至から数えて11日目をいいますが、(1年365日の丁度半分)田植えはこの日までに終えないと、それ以降は田圃にいくら水が豊富にあっても稲作の収穫は半分になると言われ、半夏半作・半夏半農という言葉もあります。ちなみに丁度この頃は、半夏生の花が咲きます。三白草ともいわれるこの花は、上から3枚目までの緑の葉の半分が白く可愛い花でご存知の方も多いと思いますが、その水無月、葉月の季節を思い浮かばせるのにふさわしい花です。半夏生餅は季節を思い出させ、そう名付けられたのでしょう。
小麦餅は、昔から大和の国・南河内・北和歌山地方で食されていたようです。(三つの地域では共に半夏生の日に搗く慣わしが現存しています)大和は素麺で知られていますように、昔から小麦の文化がありました。大和の農家には小麦が身近にあり、餅を搗く時に小麦を混ぜて搗き込み、きな粉をつけていただくものです。大和の人にとっては誰が食べても懐かしく郷愁をそそる味です。
小麦を混ぜることで歯切れが良く、硬くなりにくく軟らかさを保ちます。餅米に小麦、きな粉(大豆粉)の栄養のバランスはまことに絶妙の取り合わせとなってきます。餅米だけでは不足がちなビタミンB1・タンパク質、植物性の脂肪酸・植物繊維・カリウムや鉄が加わります。先人が特に栄養のことを考えた訳でもないと思いますが自然に備わった美味しさが受け継がれていったものと思われます。お供えのお下がりは、硬くなりにくく軟らかで美味しく胸焼けせず体の調子が良く、そして家にある小麦も食べてしまうという一石二鳥も三鳥ものお餅だったのではないでしょうか。
私の記憶では、餅米1:強力粉1だったかな、容器に入れて、ご飯しゃもじで適当に切り取ってキナコを付けて食べていました。懐かしいですが、小麦粉をこねて餅米を蒸す上に乗せて蒸したのかな?。こちらのは小麦粉だけなのですね。団子はたまに作りますが、私が作るなら米粉の代わりが強力粉かな。
<くんなか>も今は聞かなくなりました。
暖かくなったら餅も皮が硬くなる、だから小麦餅と父母は言っていました。それに軽い口当たりもあったのでしょう。
冷凍庫の餅が無くなって、気が向いたら作ろうかなと今は思っています。
>父母が居た頃は小麦餅をこしらえてくれました。
昔はどこの家でも小麦餅を作っていたのでしょうね。
麦秋・・・
昔は我が家でも麦を栽培していました。
麦刈りが辛くって・・・
>亀井勝一郎「大和古寺風物詩」を読み始めました。
私,「額田女王」なかなかすすまないんです・・・
ヒアルロン酸注射で神出奇没。
本当に楽しい人生ですよねぇ~
目が霞んであきまへん><:ねんーー:
明日は満月、、マタマタ忙しい~~!!です。冬布団もせめて合布団に衣替えしたいですが・・
今夏も冬布団のままでは、辛いです。。ネ m師匠。
たこ焼き器・うちは、40穴を買いましたよ。昔。。
ちょっと、ちょっとたこ焼きやさんのようでした、兎に角忙しいです。クルクル廻すのがプロみたいでっせ。
あの喧騒が今は嘘のようです。
>明日は満月、、マタマタ忙しい~~!!
満月に忙しいって・・・
miwakoさん もしかして・・・
エヘへ・・・満月は手放しワーク、新月は願い事を月にするのです。
そして満月に石の浄化もするのです、そして、満月一人パーティもするのです!
オーオー、忙しい、、、
満月の夜ですか・・・
私はこれから飲み会です!
きっとオオトラですねぇ~