あの日、蒲郡・竹島を望む夕方の海岸に一人の人物像を見た。
誰なんやろか?
正面に回って名前の確認。
藤原俊成とあった。
藤原俊成?
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藤原俊成は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて活躍した歌人であり、『千載和歌集』の選者として知られています。息子藤原定家も、父同様、歌人として有名でした。
名前は「としなり」とも「しゅんぜい」とも読まれます。
大変長命な方で、元久元年(1204)に91歳で亡くなられました。
俊成卿が三河国司をつとめたのは、久安元年(1145)12月から同5年(1149)4月までの3年5カ月の期間でした。
32歳から36歳までの間、藤原顕広となのっていたころです。
俊成卿は、三河湾に面して温暖な気候の当地を大変好んだと伝えられます。
当時クスノキなどが群生していた荒地の開発をおしすすめて、「竹谷荘」「蒲形荘」を開発し、蒲郡の礎を築きました。
『吾妻鑑』という歴史書には、竹谷・蒲形荘を開発した人物として、俊成卿のお名前が記されています。
そうかぁ~ 藤原定家のパパさんなんや~
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