写真は、“役小角たらいの森”近くの京奈和道路の工事現場。
写真向こうに見える山は、右が葛城山、左に金剛山。
これらの山と高速道路の橋脚を見ると、役小角(役の行者)が架けようとした“葛木の岩橋”を連想してしまう。
@葛木の岩橋
○葛城山に住んでいた役の行者は、藤の皮の着物を着て、松の葉を食って生活し、夜々、鬼神を使って水を汲ませたり、薪を拾わせて居た。ところが、此山から吉野金峰山《きんぷせん》に通ずる道がないので、鬼神に命じて岩橋を架けさせたが、葛木の一言主の神が、言付けを聴かなかったので、谷間へ縛りつけたと云う。
又、この時、役の行者が印を結ぶと、自然に岩橋が南に向って架って行く。すると空から風の神が現われて、其仕事を妨げようとする。行者は一人の天女を呼出し、歌と舞とを奏させて、風の神を制しようとする。併し結局役の行者の法力は弱って、橋は成就しなかったともいう。北葛城郡磐城村岩橋は、其名残だという。
○役行者(えんのぎょうじゃ)は文武天皇の頃の人で、字を小角(おづぬ)といい、大和國葛城上郡茅原村の人でした。
いつも藤の皮の衣を纏い、松葉を食物とし、四十年余り葛城山にこもって修行した結果、神通力を得ることができました。
また、五色の雲に乗って飛行したり、多くの鬼を使い呪術をおこなうことができるようになりました。
あるとき鬼どもを呼び出して、
葛城山と吉野の金峰山との間に岩橋を架け、通りやすくすべし』
と命じたのでした。
幾夜となく鬼どもの働く声が山々に響いたのですが、
鬼どもは夜だけ働き、昼は休むのでなかなか岩橋は完成しません。
行者は鬼どもに
『昼間も働け!』
と命じるのですが、鬼どもが言うには
『葛城の峰に一言主と申す神がおります。姿形が醜いのを恥じて、暗くなってから働き、昼は恥ずかしや浅ましやと、夜の明けぬ先にと姿を消してしまわれます。この神は他の神々より遥かに力が強いので、この神を首領として仕事をしているから昼間働かないので仕事が遅いのです』という。
そこで役小角は一言主を呼び出して昼間も仕事をすることを命じたのですが、
『いかに申すとも昼はお許し願いたい』
と言うので、怒った役小角は、一言主を孔雀明王の呪術にかけて縛りつけ岩屋に閉じ込めて、
葛城山の谷で「三熱の苦」に苦しめたのでした。
写真向こうに見える山は、右が葛城山、左に金剛山。
これらの山と高速道路の橋脚を見ると、役小角(役の行者)が架けようとした“葛木の岩橋”を連想してしまう。
@葛木の岩橋
○葛城山に住んでいた役の行者は、藤の皮の着物を着て、松の葉を食って生活し、夜々、鬼神を使って水を汲ませたり、薪を拾わせて居た。ところが、此山から吉野金峰山《きんぷせん》に通ずる道がないので、鬼神に命じて岩橋を架けさせたが、葛木の一言主の神が、言付けを聴かなかったので、谷間へ縛りつけたと云う。
又、この時、役の行者が印を結ぶと、自然に岩橋が南に向って架って行く。すると空から風の神が現われて、其仕事を妨げようとする。行者は一人の天女を呼出し、歌と舞とを奏させて、風の神を制しようとする。併し結局役の行者の法力は弱って、橋は成就しなかったともいう。北葛城郡磐城村岩橋は、其名残だという。
○役行者(えんのぎょうじゃ)は文武天皇の頃の人で、字を小角(おづぬ)といい、大和國葛城上郡茅原村の人でした。
いつも藤の皮の衣を纏い、松葉を食物とし、四十年余り葛城山にこもって修行した結果、神通力を得ることができました。
また、五色の雲に乗って飛行したり、多くの鬼を使い呪術をおこなうことができるようになりました。
あるとき鬼どもを呼び出して、
葛城山と吉野の金峰山との間に岩橋を架け、通りやすくすべし』
と命じたのでした。
幾夜となく鬼どもの働く声が山々に響いたのですが、
鬼どもは夜だけ働き、昼は休むのでなかなか岩橋は完成しません。
行者は鬼どもに
『昼間も働け!』
と命じるのですが、鬼どもが言うには
『葛城の峰に一言主と申す神がおります。姿形が醜いのを恥じて、暗くなってから働き、昼は恥ずかしや浅ましやと、夜の明けぬ先にと姿を消してしまわれます。この神は他の神々より遥かに力が強いので、この神を首領として仕事をしているから昼間働かないので仕事が遅いのです』という。
そこで役小角は一言主を呼び出して昼間も仕事をすることを命じたのですが、
『いかに申すとも昼はお許し願いたい』
と言うので、怒った役小角は、一言主を孔雀明王の呪術にかけて縛りつけ岩屋に閉じ込めて、
葛城山の谷で「三熱の苦」に苦しめたのでした。
一昨年だったか、二上山と葛城山の間にある岩橋山に登って「岩橋」の一部を探したことがありました。
結局、見つけることが出来なかったのです。
それが心残りで・・・