![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/32/2d8f4420177e02369a65a4bf328c9100.jpg)
檜隈寺跡がある檜前(ひのくま)の丘から北の方角を眺めると畝傍山が見える。
その畝傍山から少し右(北北東)に視線を移すと高松塚古墳があるはず。
カメラのズーム倍率を大きくしてファインダーの中で高松塚を探した。
でも・・・
私の思う高松塚が見あたらない・・・
あるのは木や草の生えていない小さな土の山???
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/6f/51808160f0ed84c936546362c8220c7d.jpg)
@高松塚古墳
7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳。
当初は、盗掘を逃れて残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期のものと推定されていたが、2005年の発掘調査によって、藤原京期(694年~710年)の間と確定された。
被葬者は特定されておらず、
1.天武天皇の皇子説、
2.臣下説、
3.朝鮮半島系王族説
の3つが主な説。
1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目され、その壁画は教科書等でもお馴染。
その畝傍山から少し右(北北東)に視線を移すと高松塚古墳があるはず。
カメラのズーム倍率を大きくしてファインダーの中で高松塚を探した。
でも・・・
私の思う高松塚が見あたらない・・・
あるのは木や草の生えていない小さな土の山???
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/6f/51808160f0ed84c936546362c8220c7d.jpg)
@高松塚古墳
7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳。
当初は、盗掘を逃れて残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期のものと推定されていたが、2005年の発掘調査によって、藤原京期(694年~710年)の間と確定された。
被葬者は特定されておらず、
1.天武天皇の皇子説、
2.臣下説、
3.朝鮮半島系王族説
の3つが主な説。
1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目され、その壁画は教科書等でもお馴染。
本日,いろいろ有難うございました。
この高松塚の話もしましたよねぇ~