高鴨神社を参拝し,お隣の資料館で大蛇を見たあと“極楽寺の鐘楼門”を見に行くことにした。
“極楽寺”のことは何も知らなかった。
ただ,一昨年の夏に金剛山を登りに“高天原”へ行くとき,近くを通ったこと覚えてた。
ただ,その日見た御所市の観光パンフレットに“極楽寺の鐘楼門”の写真が載っていたから。
背景のあかね色空とうろこ雲がホンマニ綺麗やった・・・
集落の名前にもなっている浄土宗知恩院派の極楽寺は、興福寺の座主として名僧の誉れ高かった一和僧都が、金剛山の付近に光が放たれているところを見つけ,地中から仏頭を掘り出し、951年(天歴5)に開いたとされている。
南北朝時代には楠木正成の祈願寺となり、南朝方の合言葉に「極楽寺」が用いられたという。
1614年(慶長19)、筒井順慶によって焼かれたが、寺宝の天得如来像図と“鐘楼門”は焼け残り、再興のきっかけとなったという。
1614年(慶長19)と云えば大阪冬の陣???
その日の天気は曇天で,素敵な空と雲の色は見られへんだ。
“極楽寺”のことは何も知らなかった。
ただ,一昨年の夏に金剛山を登りに“高天原”へ行くとき,近くを通ったこと覚えてた。
ただ,その日見た御所市の観光パンフレットに“極楽寺の鐘楼門”の写真が載っていたから。
背景のあかね色空とうろこ雲がホンマニ綺麗やった・・・
集落の名前にもなっている浄土宗知恩院派の極楽寺は、興福寺の座主として名僧の誉れ高かった一和僧都が、金剛山の付近に光が放たれているところを見つけ,地中から仏頭を掘り出し、951年(天歴5)に開いたとされている。
南北朝時代には楠木正成の祈願寺となり、南朝方の合言葉に「極楽寺」が用いられたという。
1614年(慶長19)、筒井順慶によって焼かれたが、寺宝の天得如来像図と“鐘楼門”は焼け残り、再興のきっかけとなったという。
1614年(慶長19)と云えば大阪冬の陣???
その日の天気は曇天で,素敵な空と雲の色は見られへんだ。
お師匠様の家から、園部に写生しに参りました。
楽しい楽しい一日でした♪
洞ヶ峠で思い出すのはなき父の「筒井順慶の股座膏薬」です。
洞ヶ峠はその順慶が守備していた所だそうな・・:
>お師匠様の家から、園部に写生しに参りました。
ええですねぇ~
楽しそう~!
「筒井順慶」は,大和郡山・筒井の大名ですよ!
>順慶は洞ヶ峠が陣地だったのでは??
大正解です!
天下分け目の天王山。
秀吉の中国大反転返し・山崎の合戦時の洞ヶ峠ですね。
亡父はよーぅく覚えていましたが、私は西も東洋ごっちゃでございます<(__)>
楽しかったようですねぇ~
山崎と聞くとサントリーのウヰスキー蒸留所の香りを思い出す私です。
>私は西も東洋ごっちゃでございます<(__)>
和洋折衷,チャンポン麺ですね!