
大和の盆地の周辺には“国見”や“鳥見”、“高見”と
よばれる地名が残っています。
多くは“山”の名前になっている場合が多いのです。
きっと神武天皇が熊野地方から大和の地を目指されたことに
関係しているのだと思うのですが、
昨日は都合で小高い場所から“大和の国見”をしてきました。
写真は奈良盆地南東部より北方向を写しています。
右端が三輪、その左に盆地に浮かぶようにある緑の島は“箸墓”、
山裾を奈良の都へ通じているのが“山辺の道”。
天気が良ければ天理の町やシャープの研究所がその向こうに見え、
さらに遥か彼方に奈良の都や“三笠の山”がうっすらと・・・
冬はここから“若草山の山焼き”が、夏は“おんぱらさんの花火大会”が
見えるのです。
よばれる地名が残っています。
多くは“山”の名前になっている場合が多いのです。
きっと神武天皇が熊野地方から大和の地を目指されたことに
関係しているのだと思うのですが、
昨日は都合で小高い場所から“大和の国見”をしてきました。
写真は奈良盆地南東部より北方向を写しています。
右端が三輪、その左に盆地に浮かぶようにある緑の島は“箸墓”、
山裾を奈良の都へ通じているのが“山辺の道”。
天気が良ければ天理の町やシャープの研究所がその向こうに見え、
さらに遥か彼方に奈良の都や“三笠の山”がうっすらと・・・
冬はここから“若草山の山焼き”が、夏は“おんぱらさんの花火大会”が
見えるのです。
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