先日、大阪・中納言で会食、伊勢エビを戴いた。
ほんま 美味しかった~!
@伊勢エビ
イセエビ類は古くから日本各地で食用とされており、鎌倉蝦、具足海老(ぐそくえび。海老の甲羅を鎧兜に見立てた呼び方)などとも呼ばれていた。また、日本語の「エビ」は、長い触角をしたイセエビを「柄鬚」と表記したのが始まりという説がある。
733年の『出雲国風土記』には嶋根群や秋鹿群の雑物の中に「縞蝦」の記述が見られる。「蝦」の種類は確認できないものの911年の『侍中群要』では摂津と近江の二カ国から貢上されており、宮中へも納められていた。1150年頃の『類聚楽雑要抄』などから当時は干物として用いられていたと考えられている。
伊勢海老の名称がはじめて記された文献は1566年の『言継卿記』であると考えられている。江戸時代には、井原西鶴が1688年の『日本永代蔵』四「伊勢ゑびの高値」や1692年の『世間胸算用』で、江戸や大阪で諸大名などが初春のご祝儀とするため伊勢海老が極めて高値で商われていた話を書いている。1697年の『本朝食鑑』には「伊勢蝦鎌倉蝦は海蝦の大なるもの也」と記されており、海老が正月飾りに欠かせないものであるとも紹介している。1709年の貝原益軒が著した『大和本草』にもイセエビの名が登場する。
イセエビという名の語源としては、伊勢がイセエビの主産地のひとつとされていたことに加え、磯に多くいることから「イソエビ」からイセエビになったという説がある。また、兜の前頭部に位置する前立(まえだて)にイセエビを模したものがあるように、イセエビが太く長い触角を振り立てる様や姿形が鎧をまとった勇猛果敢な武士を連想させ、「威勢がいい」を意味する縁起物として武家に好まれており、語呂合わせから定着していったとも考えられている。
イセエビを正月飾りとして用いる風習は現在も残っており、地方によっては正月の鏡餅の上に載せるなど、祝い事の飾りつけのほか、神饌としても用いられている。
ほんま 美味しかった~!
@伊勢エビ
イセエビ類は古くから日本各地で食用とされており、鎌倉蝦、具足海老(ぐそくえび。海老の甲羅を鎧兜に見立てた呼び方)などとも呼ばれていた。また、日本語の「エビ」は、長い触角をしたイセエビを「柄鬚」と表記したのが始まりという説がある。
733年の『出雲国風土記』には嶋根群や秋鹿群の雑物の中に「縞蝦」の記述が見られる。「蝦」の種類は確認できないものの911年の『侍中群要』では摂津と近江の二カ国から貢上されており、宮中へも納められていた。1150年頃の『類聚楽雑要抄』などから当時は干物として用いられていたと考えられている。
伊勢海老の名称がはじめて記された文献は1566年の『言継卿記』であると考えられている。江戸時代には、井原西鶴が1688年の『日本永代蔵』四「伊勢ゑびの高値」や1692年の『世間胸算用』で、江戸や大阪で諸大名などが初春のご祝儀とするため伊勢海老が極めて高値で商われていた話を書いている。1697年の『本朝食鑑』には「伊勢蝦鎌倉蝦は海蝦の大なるもの也」と記されており、海老が正月飾りに欠かせないものであるとも紹介している。1709年の貝原益軒が著した『大和本草』にもイセエビの名が登場する。
イセエビという名の語源としては、伊勢がイセエビの主産地のひとつとされていたことに加え、磯に多くいることから「イソエビ」からイセエビになったという説がある。また、兜の前頭部に位置する前立(まえだて)にイセエビを模したものがあるように、イセエビが太く長い触角を振り立てる様や姿形が鎧をまとった勇猛果敢な武士を連想させ、「威勢がいい」を意味する縁起物として武家に好まれており、語呂合わせから定着していったとも考えられている。
イセエビを正月飾りとして用いる風習は現在も残っており、地方によっては正月の鏡餅の上に載せるなど、祝い事の飾りつけのほか、神饌としても用いられている。
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