津山散策のあと、時計を見たらまだまだ時間が・・・
このままホテルに行くのはモッタイナイ!
それなら“宮本武蔵生誕地”(美作国宮本村)?へ行ってみようということになり、
ドライブしたら遠かった~~
@宮本武蔵生誕地
生國播磨の武士、新免武藏守藤原玄信、年つもりて六十。我若年の昔より、兵法の道に心をかけ、十三歳にして始て勝負をす。其あひて、新當流有馬喜兵衛と云兵法者に打勝、十六歳にして、但馬國秋山と云強力の兵法者に打かち、二十一歳にして、都へのぼり、天下の兵法者に逢、数度の勝負を決すといへども、勝利を得ざると云事なし。其後、國々所々に至り、諸流の兵法者に行合、六十餘度迄勝負をすといへども、一度も其利をうしなはず。其程、年十三より二十八九迄の事也。 (五輪書・地之巻)
江戸時代後期の地誌『東作誌』には美作国(現在の岡山県)宮本村で生まれたという説が記載されており、それを根拠として美作生誕説が生まれ、同説は吉川英治の小説『宮本武蔵』などに採用され有名であり、小説に基づいて岡山県および美作市(旧大原町)などは宮本武蔵生誕地として観光開発を行っている。
このままホテルに行くのはモッタイナイ!
それなら“宮本武蔵生誕地”(美作国宮本村)?へ行ってみようということになり、
ドライブしたら遠かった~~
@宮本武蔵生誕地
生國播磨の武士、新免武藏守藤原玄信、年つもりて六十。我若年の昔より、兵法の道に心をかけ、十三歳にして始て勝負をす。其あひて、新當流有馬喜兵衛と云兵法者に打勝、十六歳にして、但馬國秋山と云強力の兵法者に打かち、二十一歳にして、都へのぼり、天下の兵法者に逢、数度の勝負を決すといへども、勝利を得ざると云事なし。其後、國々所々に至り、諸流の兵法者に行合、六十餘度迄勝負をすといへども、一度も其利をうしなはず。其程、年十三より二十八九迄の事也。 (五輪書・地之巻)
江戸時代後期の地誌『東作誌』には美作国(現在の岡山県)宮本村で生まれたという説が記載されており、それを根拠として美作生誕説が生まれ、同説は吉川英治の小説『宮本武蔵』などに採用され有名であり、小説に基づいて岡山県および美作市(旧大原町)などは宮本武蔵生誕地として観光開発を行っている。
武蔵とムサシと読むのは何故なのでしょう。
その名前の高校に通っていたのに今まで調べたこともありませんでした^^;
即行「武蔵嫌いやねん」と私・・・お~~。。
女心ゆえの武蔵罵倒とは、さすが==ももり師匠!!
瓜亀さんは、ややこしいのは苦手そう^0^l
事の真偽は本人が生きていないので(?)解りませんが、痛快な生き方ですね。
試合で少しばかり卑怯な手段を使ったと言う話も有りますが、生きるためには・・勝つためには許されるかも・・!
晩年は性病(梅毒?)を患っていたと言う噂もありましたが・・?
多くの人が、司馬遼太郎が書いた坂本龍馬が真実と思ってしまうように、宮本武蔵は吉川英治によって作られた人であるのかもしれませんね。
>。「宮本武蔵」吉川英次で読んでキライになりました。あんなにひたむきに慕うお通をフルなんて・・・「あんたそれでもオトか!!!」面と向かえば痛罵しそう。
私もまったく同感です。
私もあんなにひたむきに慕われてみたい!
たしかに武蔵は強かったんだと思うのですが、
一度も自分が負けそうな相手とは戦わなかったということを聞きます。
真実は???
>即行「武蔵嫌いやねん」と私・・・お~~。。
やっぱり女性の会話にも登場していたんですね。
会ったこともない、話したこともない男性のことが・・・
岩国の河原で小次郎の像を見たことがあります。
>事の真偽は本人が生きていないので(?)解りませんが、痛快な生き方ですね。
こんな生き方もいいでしょうねぇ~
武蔵の里の食堂や土産物店は、客が少ないからか、ほとんど閉まっていました。