以前ブログにも書いたことだが、昨年の祭講の際、ある神社の宮司さんと酒を飲んだ。
私が知りたかったのは「鳥見霊畤」と「保田與重郎」のこと。
(※保田與重郎氏は、この2日の「万葉集のはじまり」でも登場した。)
その話のなかで驚いたのは、
1940年(昭和15年)、橿原市で紀元 2600年祭が行われた際、この鳥見山が、「霊畤」伝承地として国会で審議され、国家の認証を受けたということ。
2600年も前の神武天皇の「霊畤」の場所を国会で定めた?というのだ。
「霊畤」とは、「まつりのにわ」という意味?らしい。
そして「大嘗祭」とは、「新天皇が即位後最初に行われる新嘗祭」の事。
それを行う場所を、「霊畤」と言うそうだ。
大嘗祭、新嘗祭共、今年の新穀・新酒をもって先祖の神々をお祀りするという意味においては同じなのだが、大嘗祭は、皇位継承と重大な意義を持っていて、大嘗祭が行われて始めて皇位継承の名実共に備わるといわれ、御一代御一度の極めて重大な式典なのだ。
初代天皇の神武天皇が国家平定の基盤を造られ、現在の橿原市に於いて初代天皇として即位された折、大嘗祭がその隣の桜井市にある鳥見山で行われた。
保田與重郎氏は、「鳥見山がこの聖蹟に指定せられたのは、中古以来も山中の数々の祭祀遺蹟の証があったのである。大和平野の中での独立の山としては、大和三山と鳥見山の他にはない。天つ神を祭る場所は独立の山といふ習俗例はあった」と記しているとのこと。
今日、「この鳥見山が、その山なのか・・・」そんな思いで山を眺めた。
長い間、この山も登ってへんなぁ~
久々に登ってみたいなぁ~
「写真;鳥見山」
私が知りたかったのは「鳥見霊畤」と「保田與重郎」のこと。
(※保田與重郎氏は、この2日の「万葉集のはじまり」でも登場した。)
その話のなかで驚いたのは、
1940年(昭和15年)、橿原市で紀元 2600年祭が行われた際、この鳥見山が、「霊畤」伝承地として国会で審議され、国家の認証を受けたということ。
2600年も前の神武天皇の「霊畤」の場所を国会で定めた?というのだ。
「霊畤」とは、「まつりのにわ」という意味?らしい。
そして「大嘗祭」とは、「新天皇が即位後最初に行われる新嘗祭」の事。
それを行う場所を、「霊畤」と言うそうだ。
大嘗祭、新嘗祭共、今年の新穀・新酒をもって先祖の神々をお祀りするという意味においては同じなのだが、大嘗祭は、皇位継承と重大な意義を持っていて、大嘗祭が行われて始めて皇位継承の名実共に備わるといわれ、御一代御一度の極めて重大な式典なのだ。
初代天皇の神武天皇が国家平定の基盤を造られ、現在の橿原市に於いて初代天皇として即位された折、大嘗祭がその隣の桜井市にある鳥見山で行われた。
保田與重郎氏は、「鳥見山がこの聖蹟に指定せられたのは、中古以来も山中の数々の祭祀遺蹟の証があったのである。大和平野の中での独立の山としては、大和三山と鳥見山の他にはない。天つ神を祭る場所は独立の山といふ習俗例はあった」と記しているとのこと。
今日、「この鳥見山が、その山なのか・・・」そんな思いで山を眺めた。
長い間、この山も登ってへんなぁ~
久々に登ってみたいなぁ~
「写真;鳥見山」
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