大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

田んぼで石鏃

2012年02月04日 | 趣味の園芸
年末の酒の席、隣りに座った人に趣味を聞いた。
そうすると、その人は、「田んぼの畦を歩いて石の鏃(やじり)を拾うこと。」と答えた。
私の住む地域では、寒の頃に田んぼの荒起こしを行う。
そうすると、田んぼの土の表面に古代人が使った石の鏃が出て来るのだという。
田の畦を歩きながら、注意深く田の土の表面の小石を観察するらしい???
彼の家は“マキムク”と呼ばれる地域。
もしかしたら、その石の鏃は卑弥呼に使えた人のもの???
そう言えば、司馬遼太郎も少年時代、彼の母の里“タケノウチ”で石の鏃を拾うのが趣味やったって、どこかの本で読んだような???
さぁ~今年は我が家の田起こしが楽しみや!

@日本の石鏃
縄文時代の鏃は、厚みが薄く、三角形である。それに比べ、弥生時代中頃の近畿地方の鏃は分厚くて重く、中には三角形のものもあるが、大多数は木の葉型である。重さは、鉄や青銅の鏃に匹敵するという。重いほど打撃力が増す。縄文時代にはシカやイノシシを獲るには軽く、速く、遠くへ飛ぶ鏃で充分有効であった。しかし、弥生時代に入っても初めのうちは軽い鏃を使っていたが、紀元前1世紀から1世紀ごろの近畿地方から香川県にかけての地域では、形が大きく重さも重くなり、深く突き刺さる鏃が現れるようになった。つまり、武器としての使用も増えた。
文献上の記録として、『日本三代実録』の9世紀末の記述に、石鏃が発見された記事があるが、それが人工物であるということはすでに忘れ去られ、天神が用いて地上に落としたものと解釈されている。石鏃が古の人工物と認知されたのは江戸時代になる。

【写真】広陵町公民館ロビーで展示してあった埴輪・武人?
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4 コメント

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Unknown (nyar-nyar)
2012-02-06 19:39:35
田んぼのあぜ道に矢じりが出土するんですか?
こちら市川の博物館歴史部会の人に教えてあげたい・・・
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Unknown (瓜亀仙人)
2012-02-07 17:22:42
nyar-nyarさんへ
>田んぼのあぜ道に矢じりが出土するんですか?
あぜ道ではなくって、あぜ道を歩いて田んぼの土の表面を探すのだすです。
楽しみやなぁ~
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Unknown (ちゃぐまま)
2012-02-15 00:44:37
タイトルを見るだけでもわくわくしますね。
妹が数日前に「マキムク」に行き、
「どんなに九州説を頑張っても、やっぱり大和ね」といって帰ってきました。
田んぼからやじり・・・。やっぱり格が違います。
・・・田んぼから花火の殻・・・もありましたっけ。4 
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Unknown (瓜亀仙人)
2012-02-15 18:12:14
ちゃぐままさんへ
この日曜日、田んぼを起こしました。
それからここ数日、雨が降っています。
田んぼの土の中の鏃が雨に洗われ・・・
想像するだけでワクワクです!
早く土曜日来ないかなぁ~
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