大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

熊野古道;糸我稲荷神社~糸我王子跡

2011年04月14日 | 和歌山県
得生寺に参詣し,お寺から出たらすぐに“糸我の一里塚跡”があった。
ここ最近,植えたばかりの松の木が1本立っていた。

約5分で“糸我稲荷神社”,その前に「すく熊野道」の大きな石の道標と
白河法皇の句碑があった。

社前鳥居に「本朝最初稲荷神社」の額。
私は「本朝最初」の文字に反応した!
何が「本朝最初」???
でも,写真を撮るのを忘れた・・・

神社の隣は,“くまの古道歴史民族資料館”。
ゆっくり拝観したいけど,最重要な“しらす丼”終了の時刻が迫ってる。
すこし登りながら歩くと左手に雲雀山への道標があった。
さらに歩くと,“糸我王子”があった。
熊野古道では「○○王子」ってよく聞くけれど,それを見るのを楽しみにしていた。
それが・・・

“糸我王子”から少し歩くと“糸我王子跡”があった。
私には勉強不足でその違いが分からない???
この“糸我王子跡”を過ぎるとみかん畑の中の急坂になった。

@糸我稲荷神社
現在、稲荷神社について残っている資料は、文化7年(1810)当時の神官、林周防が寺社奉行に報告した「糸鹿社由緒」がある。
その中で糸我社の創建は「37代孝徳天皇白雉3年壬子の春、社地を正南森に移し、糸鹿社と申す」とあり、白雉3年とは伏見稲荷神社の和銅年間の創建より約60年も前に遡る。
この故をもって糸我稲荷神社を本朝最初の創建とし、社前鳥居に「本朝最初稲荷神社」の額が上っている。
御祭神は倉稲魂神、土御祖神大姫神で、紀伊続風土記には「荘中三箇村の産土神なり、古くは殿社も宏麗に神田も多く云々」とある。
境内には樹齢500年~600年の3本の大楠がそびえており、歴史を物語る一例でもある。
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