大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

ごん狐の話のはじまりの文

2007年09月22日 | 東海
これは、私が小さいときに、村の茂平といふおぢいさんからきいたお話です。
 むかしは、私たちの村のちかくの、中山といふところに小さなお城があつて、中山さまといふおとのさまが、をられたさうです。
 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」と言ふ狐がゐました。ごんは、一人ぼつちの小狐で、しだの一ぱいしげつた森の中に穴をほつて住んでゐました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出て来て、い たづらばかりしました。はたけへはいつて芋をほりちらしたり、菜種がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとつて、いつたり、いろんなことをしました。

これは『ごん狐』のはじまりの文章です。
今回の旅で私は、“中山”や“権現山”を歩いてきました。
時代も変わり、“中山”の横には“新美南吉記念館”が建ち、“中山”は“童話の森”と呼ばれていました。
“ごん”が住んでいたとされる“権現山”【写真】には、昔、狐が住んでいたようです。ごんに逢いたくて、かなり探したのですが・・・・やっぱり逢えませんでした。
それより私が気になったのが、「村の茂平といふおぢいさんからきいた」とされる場所・“宝蔵倉”があった付近の景色とその道だったのです。
その場所は“新美南吉の生家”とその生家が手狭になったので父が後に購入したという“はなれの家”との間にある大きな神社(八幡神社)の石の鳥居の横だったからです。
彼は“生家”から“はなれの家”へ帰る道中に、『ごん狐』の話を練りながら歩いていたのでしょうか。神社の境内で足を止め“ごん”と話をしていたのかもしれませんよね。


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