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「鳥見山」は奈良盆地南東部に独立する標高245mの平た~い山。
この夏,約40年ぶりに登ることにした。
この「鳥見山」は、神武天皇が橿原宮に即位され、その後、神武四年に鳥見の山中に霊時(まつりのにわ)を設けて、国で採れた産物を供えられ、御自ら皇祖天津神々を祭り、大和平定と建国の大孝を申べ給うた大嘗会の初の舞台であり、我が国建国の聖地とされている。
その西麓、能登山の麓に鎮座する「等彌(とみ)神社」 は、既に十世紀前半に制定せられた『延喜式』の神名帳に記載がある古社であるという。
境内入り口には,作家佐藤春夫、詩人堀口大学、評論家で地元出身の保田興重郎らの句碑・歌碑が建立されていた。
参道に沿って百五十余基の石灯籠が並立し、参道を進むと上社「上津尾社」に至った。
手前の稲荷社から左手の尾根に上がると広 い参道が通っていて、しばらく辿って上がると「霊畤拝所」と刻まれた大きな石碑の前に出た。
道はここから小道となり、蜘蛛の巣を払いながら緩やかに登って行くと,やがて大きな句碑の立つ平坦地に出た。
さらに穏やかな尾根を辿って少し登ると開けた場所に「白庭」と彫られた石碑を見て、そこから少しで山頂に着いた。
山頂部は平坦地で,「霊畤」と刻まれた石碑があった。
周囲は雑木に囲われていて展望はなかった。
展望さえ開ければ,北に初瀬川を挟んで間近に三輪山が見えるはず・・・
古代ここで一体何があったんやろう?
山頂までの往復約45分の「我が国建国の聖地」を訪ねる山行やった。
「写真;鳥見山頂;霊畤と刻まれた石碑」
この夏,約40年ぶりに登ることにした。
この「鳥見山」は、神武天皇が橿原宮に即位され、その後、神武四年に鳥見の山中に霊時(まつりのにわ)を設けて、国で採れた産物を供えられ、御自ら皇祖天津神々を祭り、大和平定と建国の大孝を申べ給うた大嘗会の初の舞台であり、我が国建国の聖地とされている。
その西麓、能登山の麓に鎮座する「等彌(とみ)神社」 は、既に十世紀前半に制定せられた『延喜式』の神名帳に記載がある古社であるという。
境内入り口には,作家佐藤春夫、詩人堀口大学、評論家で地元出身の保田興重郎らの句碑・歌碑が建立されていた。
参道に沿って百五十余基の石灯籠が並立し、参道を進むと上社「上津尾社」に至った。
手前の稲荷社から左手の尾根に上がると広 い参道が通っていて、しばらく辿って上がると「霊畤拝所」と刻まれた大きな石碑の前に出た。
道はここから小道となり、蜘蛛の巣を払いながら緩やかに登って行くと,やがて大きな句碑の立つ平坦地に出た。
さらに穏やかな尾根を辿って少し登ると開けた場所に「白庭」と彫られた石碑を見て、そこから少しで山頂に着いた。
山頂部は平坦地で,「霊畤」と刻まれた石碑があった。
周囲は雑木に囲われていて展望はなかった。
展望さえ開ければ,北に初瀬川を挟んで間近に三輪山が見えるはず・・・
古代ここで一体何があったんやろう?
山頂までの往復約45分の「我が国建国の聖地」を訪ねる山行やった。
「写真;鳥見山頂;霊畤と刻まれた石碑」
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