大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

久米仙人

2010年01月05日 | 橿原市
昨日の午後,私は屋敷の隣にある竹藪の手入れをした。
梯子を架け,石垣まで伸びてきた竹を鉈で切る作業。
しかし,日頃の運動不足が祟り,腕が動きにくくなり,
足の踏ん張りが効かなくなってきて,
さらに考え事をした瞬間,梯子の上でバランスを崩し・・・
やっとのことで竹にしがみつき,落ちずに済んだのでよかったんやけど・・・
ぶら下がりながら思い出したのが,私が尊敬している「久米仙人」の伝説やった。

※久米仙人伝説
むかし吉野の竜門寺にこもって神通飛行術の会得の修行をしていた二人の青年がありました。
一人をアツミといい、もう一人をクメといいました 。
竜門岳にのぼって山中をかけめぐり、滝に打たれたりしてそれは厳しい修行でした。アツミはこの秘術を先に修得して仙人となり雲にのぼりました。
後になったクメも更に修行に励み、やっとの事で空を飛べるようになりました。
吉野川を越える時、川の畔で若い娘が着物を洗っていました。裾を捲り上げて、白いすねをあらわに出していました。クメはいやしい心がムラムラとおこり、そのとたん長い間の修行した神通力は消えて、女の前に落っこちてしまいました。クメはもとの人間となりその娘を妻 として夫婦仲良く暮らしました。
そんな頃、天皇は高市に都を造ろうとなさっていました。クメも夫役に呼び出され、他の人夫達は、「あの、クメはもと仙人、スケベ心さえ起こさなかったらこんな辛い仕事をさせられなくてよかったのに」。
この話しが役人に伝わり、行事官はたわむれに「この木材を手で運ぶよりは、仙術で山からここへ飛ばしてもらえれば早いものだがなぁ~」と、云いました。
クメは7日間、断食をして再修業をしました。そして ついに8日目の朝、にわかに雲がくもり暗夜のごとくなったかと思うと雷が鳴り渡り雨が激しく降って、辺りが見えなくなりました。やがて空は晴れ渡り、そのときたくさんの木材が南の山から飛んできて都を造ろうとしている場所に積み重ねられていました。
これを知った天皇は恩賞として免田三十町をクメに与えられ、クメは喜んでこの田をもらい、一生楽しく暮らしたといいます。
その土地に建てた寺が,橿原神宮のそばにある久米寺です。
寺を建ててからのクメは、薬師如来をまつり、自分の姿までを木像にして寺に残し、一生病気にかからないという竹の箸も作ってみんなに配ったという事です。
「写真;久米寺と久米仙人の石像」



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