大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

伊弉諾神宮へ

2014年02月27日 | 兵庫県
のじまスコーラでイタリアンの昼食を逃して淡路島西海岸を南下。
レストランや食事処を探していたのに、発見したのは「伊弉諾神宮」の看板。
そう言えば昔から行ってみたかった処。
何故か神社へ行けば食事処があるような気がして行ってみた。

@伊弉諾神宮
『日本書紀』・『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まったとあり、当社の起源とされる。 伊弉諾尊の幽宮と伝わる場所は、他に滋賀県の多賀大社があるが、これは『古事記』の「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述による。ただし、『古事記』では「近江」は「近淡海」とするのが常で、「淡海」は「淡道(淡路島)」の誤写である可能性がある。 なお、『日本書紀』では一貫して「淡道」と記され、「近江」に該当する名はない。

ある日、高天原にお住まいになられている神々が全員集まり、はるか下界を見降ろしながら会議を開かれました。そして、いざなぎ、いざなみ、のご夫婦をお呼びになり、玉飾りのある美しい『天の沼矛(あめのぬぼこ)』を渡し、「あの泥海のようにただよえる国を整え固めよ」と命じられたのでございます。

二人は天の沼矛を手に持ち、高天原と下界をつなぐ『天の浮橋』の上から、どろどろとした海原を見下ろしました。そして天の沼矛を降ろしてゆっくりとかき回しました。♪こをろ。♪こをろ。そんな不思議な音が聞こえてきます。そこで、さっと矛を引き上げました。すると、矛の先から塩のしずくがぽたぽたとしたたり、積もり固まり、やがて塩の球となりました。この球はおのずからころころところがっているので『おのころ嶋』と名づけられました。地球の誕生でございます。わたしたちのご先祖は、数十億年も前から、すでに地球が自転していることや塩の固まりであることを知っておられたのでございます。

二人はさっそく出来たばかりの『おのころ嶋』に降りていき、まず最初に『天の御柱(あめのみはしら)』を立てました。天の御柱とは、神霊が昇り 降りするために立てるとても太くて高い柱で、大地と宇宙を結ぶ大切な役目をしています。そしてそれは、地球のどこからでも見ることができます。つぎに『八尋殿(やひろどの)』という広い宮殿を建てました。
 
こうして新居もできあがりひと息ついたところで、いざなぎは、自分自身の下半身に何か不思議なものが、ぷらんぷらんとぶら下がっているのが気になり、「おまえの体はどんな風になっているのか?」といざなみにお尋ねになりました。いざなみは、しげしげと体を眺めて答えました。

「わたしの体はほとんど完成しているのですが、一か所だけ、ぺこん、とくぼんだ『なりなりて成り合わない』ところがあります」「わたしの体にも一か所だけ、ぽこん、と飛び出た『なりなりて成り余れる』ところがある。そこでどうだろう、お前のくぼんだところに、わたしのとびでたところを差し入れて、国を産もうと思うが、いかに?」と申されました。

「はい。そうしましょう」といざなみは、股を広げて答えられ、宮殿の奥にある寝室へと入り、男女の営みである『みとのまぐはひ』をされました。そして最初に生んだのが淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)つまり淡路島、次に四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州と大八島ができました。
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-03-01 10:24:16
は・は・は・・・いいなあ。実によくわかりました。今まで国生み伝説とか・・・どうも苦手でしたが…これなら私にもよく理解できます。なりなりて成り余れる・・・・ですね。は・は・は・・・イイナア!!!実に楽しい!!!
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