平成16年春、これといった高速道路の無かった奈良盆地の南部にも一本の道路が開通した。
その道路の名称は“南阪奈道路”。
平成の竹内街道”とよばれる“南阪奈道路”は、大阪府の堺市美原で阪和自動車道から分岐し、羽曳野市、太子町を通り、奈良県の葛城市へとつながる。
葛城市では、すでに開通している一般国道165号大和高田バイパスと一体となって、畝傍山の北、藤原京の西で終わっている。
私は、この二上山から延びる道路をみると“箸墓”の物語を思い浮かべてしまうのだ。
『日本書紀』にしるされているというのだが、
倭迹迹日百襲姫命死んだので大市に葬り、この墓を箸墓とよんだ。ところがこの墓は昼は人間が築き、夜は神が造った。しかもこの墓を築造するのに多くの人が大坂山から箸墓まで相並んで手送り式にして石を運んだという。この大坂山とは現在二上山麓の香芝市逢坂と考えられているのだという。
その道路の名称は“南阪奈道路”。
平成の竹内街道”とよばれる“南阪奈道路”は、大阪府の堺市美原で阪和自動車道から分岐し、羽曳野市、太子町を通り、奈良県の葛城市へとつながる。
葛城市では、すでに開通している一般国道165号大和高田バイパスと一体となって、畝傍山の北、藤原京の西で終わっている。
私は、この二上山から延びる道路をみると“箸墓”の物語を思い浮かべてしまうのだ。
『日本書紀』にしるされているというのだが、
倭迹迹日百襲姫命死んだので大市に葬り、この墓を箸墓とよんだ。ところがこの墓は昼は人間が築き、夜は神が造った。しかもこの墓を築造するのに多くの人が大坂山から箸墓まで相並んで手送り式にして石を運んだという。この大坂山とは現在二上山麓の香芝市逢坂と考えられているのだという。
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