あの日の宿は飛騨高山駅前のホテル。
朝早起きをして長距離ドライブをしたからか、
円空仏を真剣に見すぎたからかえらい草臥れた。
だから早寝。
その結果、早起き。
“飛騨高山の朝市”を目指して宿から歩くことにした。
国分寺の前で見かけたお店が“円空洞”。
木彫を扱っておられる様子。・・・円空仏の土産が買える!
まだ開店していない。
朝市見物の帰りに覗くことにした。
欲しいと思った円空仏は高額。
やっとの思いで購入したのが写真の3体と
「円空彫のすすめ」というこの店の元店主が書いた本1冊。
私にとっては久々に見つけた旅の土産。
これらを手本に仏を彫ろう思う。
@円空洞の円空彫刻
「円空さま」の「なたばつり」と言えば、ひだ地方の民衆には、昔から親しまれてきたものです。しかしながら、その作品は、はなはだ粗末で未熟なものとして、一般にその真価が、買われていませんでした。
従って、その独自な彫刻の技法をたどる人もなく、また刀技についての伝承もありません。
本来、円空上人は、もの言う代わり、手当たりしだいさまざまな仏像を刻んでは、秘密の教義をこれに託して諸国を遊行した木食の行者で、奇行に富んだその行跡もまた伝説的ですが、その作品には、庶民的な親しさと深玄なささやきがゆたかに感じられて、それが円空彫刻の魅力となっています。
かつて私の父(三輪年朗 1912-1997)は、その作品の不思議な魅力に驚きの目をみはり、できれば「ノミ」によって刀法の秘密をさぐりあて、それを日ごろのつたない手仕事(木彫)の上に再現できないかと思い立ち、円空に魅せられて三輪年朗流の円空彫りを完成させていました。
晩年父は、刀法・制作の手順を後継者に伝授し、今後も自ら円空ファンの一人として、「昭和の円空仏」から「平成の円空仏」へと、円空彫刻の神髄を追求し制作してまいります。
朝早起きをして長距離ドライブをしたからか、
円空仏を真剣に見すぎたからかえらい草臥れた。
だから早寝。
その結果、早起き。
“飛騨高山の朝市”を目指して宿から歩くことにした。
国分寺の前で見かけたお店が“円空洞”。
木彫を扱っておられる様子。・・・円空仏の土産が買える!
まだ開店していない。
朝市見物の帰りに覗くことにした。
欲しいと思った円空仏は高額。
やっとの思いで購入したのが写真の3体と
「円空彫のすすめ」というこの店の元店主が書いた本1冊。
私にとっては久々に見つけた旅の土産。
これらを手本に仏を彫ろう思う。
@円空洞の円空彫刻
「円空さま」の「なたばつり」と言えば、ひだ地方の民衆には、昔から親しまれてきたものです。しかしながら、その作品は、はなはだ粗末で未熟なものとして、一般にその真価が、買われていませんでした。
従って、その独自な彫刻の技法をたどる人もなく、また刀技についての伝承もありません。
本来、円空上人は、もの言う代わり、手当たりしだいさまざまな仏像を刻んでは、秘密の教義をこれに託して諸国を遊行した木食の行者で、奇行に富んだその行跡もまた伝説的ですが、その作品には、庶民的な親しさと深玄なささやきがゆたかに感じられて、それが円空彫刻の魅力となっています。
かつて私の父(三輪年朗 1912-1997)は、その作品の不思議な魅力に驚きの目をみはり、できれば「ノミ」によって刀法の秘密をさぐりあて、それを日ごろのつたない手仕事(木彫)の上に再現できないかと思い立ち、円空に魅せられて三輪年朗流の円空彫りを完成させていました。
晩年父は、刀法・制作の手順を後継者に伝授し、今後も自ら円空ファンの一人として、「昭和の円空仏」から「平成の円空仏」へと、円空彫刻の神髄を追求し制作してまいります。
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