大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

飛鳥・檜隈界隈へ

2008年10月15日 | 明日香村・高取町
先日のニュースによると、
【高松塚、キトラ古墳(いずれも明日香村)の壁画の保存方法を考える文化庁・古墳壁画保存活用検討会保存技術作業部会(座長、石崎武志・東京文化財研究所保存修復科学センター長)の第1回会合が8日、奈良文化財研究所で開かれた。壁面の泥の下で残る可能性が高いキトラ古墳の十二支像「辰(たつ)」「巳(み)」「申(さる)」について、泥と漆喰(しっくい)を一体で剥(は)ぎ取ることを確認した。早ければ、来年秋にも剥ぎ取り作業が開始される。】とあった。
私は高取城からの帰りに、高取山をカメラに納めたいと思ったのだ。
それで車を国道169号から少し外れた処に停め撮影す ることにした。
再び車に乗り込みスタートすると、“ミニゴリラ”(カーナビ)が、帰宅路を今までと違う、今まで通ったことのない道を示すではないか。
急ぐこともないので、“ミニゴリラ”の示した通りに車を走らせることにした。
暫く進むと“ミニゴリラ”の画面に“キトラ古墳”という文字が表示された!
高取山を撮ろうとした回り道が、私を“キトラ古墳”に連れていってくれたのだ。
運命なのか偶然なのか・・
不思議な思いで道端に車を停め、“キトラ古墳”へと歩いた。
そこで私が見たのは、古墳ではなく建物?だった。
この中に、あの壁画が・・・なんてロマンすら感じることの出来ない建物だった。
複雑な思いで車を北へと走らせると、左(西側)の丘陵で大規模な発掘調査の現場が見えた。
この辺りは、飛鳥の南西部“(ひのくま)”と呼ばれ、渡来人が多く移り住んだとされる地域。
また、道端に車を停めて、この辺りの写真を撮り、再び車を走らせた。
暫く行くと、高松塚古墳の南にある信号機のない交差点に着いた。
ここから先は、ナビがなくても帰ることができる道やった。
9月末、我が家に届いた新聞を読むと、「東漢氏の住居跡を発見 檜前遺跡群と命名」とあの写真を撮った丘陵が載っていた。(TVでも流れていた。)
しもた~あの発掘現場まで歩いて見に行っとけばよかった・・・
「写真:キトラ古墳」

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