大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

飛鳥水落遺跡

2009年06月09日 | 明日香村・高取町
明日6月10日は,「時の記念日」。
調べてみるとこんなことが分かった。
Q1;なぜ,明日が「時の記念日」なのか?
天智天皇10年の4月25日に漏刻(水時計)が設置され、宮中に時がつげられるようになったのを記念するもの。この天智天皇10年4月25日を太陽暦に直すと671年の6月10日になるため、この日が時の記念日に制定された。
もっとも日本書紀によれば,漏刻は実は斉明天皇6年5月に皇太子(天智天皇,当時は中大兄皇子)の命により既に設置されていたのだが,その日付が不明であるため、日付の明確な天智天皇10年の方が採用されている。
Q2;なぜ水時計なのか?
大雑把な目安しか提供できない日時計に比べて水時計はどうしても精密な時刻を測ることができるものとして重用されたが、その発明は古く、BC16世紀にはエジプトで既に使用されていた記録が残っているという。
天智天皇の時代にこの水時計の管理をしていたのは陰陽寮の漏刻博士たちで,二人で交替で水の量をチェックして鐘や太鼓で時報を鳴らしていた。
しばしば誤解があるのだが、当時使用されていた時刻は現在私たちが使用しているような、夏でも冬でも一定の時を刻む定時法。時代劇などで登場する、日出と日没の間を等分した不定時法は、戦国時代の混乱で定時法が運営できなくなった時に代用システムとして登場したもの。江戸時代は、時報の鐘を鳴らす役の人は機械仕掛けの正確な時計に、わざわざ不定時法用の文字盤を取り付けて、それを見ながら鐘を打つという、まことに本末転倒なことをしていたらしい。
Q3;なぜ「時の記念日」を制定したのか?
時の記念日は1920(大正9)年に制定された。当時の日本人に欧米人なみに時間を尊重する意識を持ってもらう事を目的とし、生活改善同盟会が「日本書紀」の天智天皇の条、水時計創設の記によって6月10日を選定し,時間の大切さをかみしめる日と意義づけられている。
「写真;飛鳥水落遺跡(今年2月頃撮影)」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さなぶり餅 | トップ | 曽爾高原 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

明日香村・高取町」カテゴリの最新記事