
竹取翁が住んでいたと推定される所は、“馬見丘陵”の南端。
その馬見丘陵は北(北葛城郡河合町)へと延びている。
このあたりは葛城氏?の大型前方後円墳が集まっている。
馬見公園の中央エリアには、築造当初の姿に復元された“ナガレ山古墳”がある。
その解説には、
「昭和51年12月27日に国指定史跡となったナガレヤマ古墳は、全長105m、後円部直径65m、前方部幅71mの後円部を南に向けた前方後円墳です。昭和63年より史跡公園として発掘調査とともに行われた復元整備では、東側には埴輪を並べ、葺石を葺いて築造当初の姿に復元され、西側は芝生を張って整備し、1,600年前と後の姿を同時に見る事が出来るようになりました。 この頂上からの眺めは本当に素晴らしく、まさにパノラマです。」とあった。
古代の姿を取り戻した古墳の上に立って、大和の国見。
そして西方には大きく二上山。
でも、ここからは2つの山頂が1つしか見えない・・・
この地域の豪族と勢力争いをしていたのは、現在、私が住んでいる地域にいた豪族だったのだろうか?
古代のロマンやなぁ~
「写真;ナガレ山古墳」
その馬見丘陵は北(北葛城郡河合町)へと延びている。
このあたりは葛城氏?の大型前方後円墳が集まっている。
馬見公園の中央エリアには、築造当初の姿に復元された“ナガレ山古墳”がある。
その解説には、
「昭和51年12月27日に国指定史跡となったナガレヤマ古墳は、全長105m、後円部直径65m、前方部幅71mの後円部を南に向けた前方後円墳です。昭和63年より史跡公園として発掘調査とともに行われた復元整備では、東側には埴輪を並べ、葺石を葺いて築造当初の姿に復元され、西側は芝生を張って整備し、1,600年前と後の姿を同時に見る事が出来るようになりました。 この頂上からの眺めは本当に素晴らしく、まさにパノラマです。」とあった。
古代の姿を取り戻した古墳の上に立って、大和の国見。
そして西方には大きく二上山。
でも、ここからは2つの山頂が1つしか見えない・・・
この地域の豪族と勢力争いをしていたのは、現在、私が住んでいる地域にいた豪族だったのだろうか?
古代のロマンやなぁ~
「写真;ナガレ山古墳」
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