連日の猛暑。
その猛暑の中、出かけることにした。
どこ行く?
やっぱりこの夏は「円空」!
奈良県内で「円空」と言えば天川村の「栃尾観音堂」!
山道を約1時間ドライブ。
盆地よりもやっぱり涼しい。
駐車場には他府県ナンバーの先客が・・・
先客はお堂の中でガラスの反射光と格闘しながら写真撮影中。
私たちが来たのを見て先客はお堂の外へ。
拝観後、お堂の外で待つ先客と円空談義。
そうしてたら、このお堂の堂守やという1人の老人がやって来て、
猛暑の堂内で円空談義が延々と・・・
@観音会式:ほほ笑みの「円空仏」拝観 天川・栃尾観音堂で21日 /奈良
江戸時代前期の僧、円空(1632〜95)が彫った像4体が安置されている天川村栃尾の栃尾観音堂で21日、堂を守ってきた地元の人たちが扉を開け「円空仏」と親しむ観音会式がある。時間は午前10時〜午後2時ごろ。法要の後、荒々しいノミ跡と優しいほほ笑みの円空仏を拝観できる。
円空は、美濃(岐阜県)生まれ。1672(寛文12)〜75(延宝3)年に2回、大峯山を訪れ、冬の笙(しょう)の窟(いわや)などで修行。栃尾観音堂の4像を残した。
4体は聖観音菩薩立像(137センチ)、大弁財天女立像(85・7センチ)、金剛童子立像(84・3センチ)、護法神像(49・7センチ)。堂は元はもっと奧の谷にあったが、明治時代の台風で流され現在地に移ったという。
円空仏は地域の人の心の支えだったようだ。近くに住む堂守、瀬上章さん(70)は「地元にあるのがうれしい。それしかない。笑っているような観音さんの顔を見るとほっとする」と言う。
普段は堂は施錠され、拝観希望は瀬上さんに連絡を。無料。数珠は500円。瀬上さん(0747・65・0325)。
近くの堂守、瀬上章さん(70)は「観音さんはありがたい。病気の時とかに助けてくれる。笑っている顔を見ると何とも言えない気持ちになる。ここにいてくれるのがうれしい」と言う。かつて円空仏は子どもたちの遊び相手にもなった。「近所の85、86歳のおっちゃんが、『子どものころは大事なものとは知らんで舟ノ川で浮きがわりにして遊んだ』と言っていた」。岐阜などにも、円空仏を子どもたちが浮きにしていた話がある。親たちは水難防ぎの願いを託したのだろうか。
瀬上さんは「円空はうちに泊まり、この奥の洞で像を彫ったと言い伝えられている。堂はもっと奥にあったが明治の台風で流され大正2(1913)年、今の所に再建し移したと父から聞いた」と言う。
340年ほど前、大峯山で修行した円空(1632〜95)が、ふもとの天川村・栃尾観音堂に残した聖観音菩薩立像(高さ137センチ)には、杉材に彫った顔の中央に大きなヒビが入っている。それでも像は包み込むようなやさしさを失わない。
ヒビは、以前は無かったらしい。堂守の瀬上章さん(70)は「父が兵隊から帰った昭和23(1948)年ころの写真にはまだ無い」と言う。
その猛暑の中、出かけることにした。
どこ行く?
やっぱりこの夏は「円空」!
奈良県内で「円空」と言えば天川村の「栃尾観音堂」!
山道を約1時間ドライブ。
盆地よりもやっぱり涼しい。
駐車場には他府県ナンバーの先客が・・・
先客はお堂の中でガラスの反射光と格闘しながら写真撮影中。
私たちが来たのを見て先客はお堂の外へ。
拝観後、お堂の外で待つ先客と円空談義。
そうしてたら、このお堂の堂守やという1人の老人がやって来て、
猛暑の堂内で円空談義が延々と・・・
@観音会式:ほほ笑みの「円空仏」拝観 天川・栃尾観音堂で21日 /奈良
江戸時代前期の僧、円空(1632〜95)が彫った像4体が安置されている天川村栃尾の栃尾観音堂で21日、堂を守ってきた地元の人たちが扉を開け「円空仏」と親しむ観音会式がある。時間は午前10時〜午後2時ごろ。法要の後、荒々しいノミ跡と優しいほほ笑みの円空仏を拝観できる。
円空は、美濃(岐阜県)生まれ。1672(寛文12)〜75(延宝3)年に2回、大峯山を訪れ、冬の笙(しょう)の窟(いわや)などで修行。栃尾観音堂の4像を残した。
4体は聖観音菩薩立像(137センチ)、大弁財天女立像(85・7センチ)、金剛童子立像(84・3センチ)、護法神像(49・7センチ)。堂は元はもっと奧の谷にあったが、明治時代の台風で流され現在地に移ったという。
円空仏は地域の人の心の支えだったようだ。近くに住む堂守、瀬上章さん(70)は「地元にあるのがうれしい。それしかない。笑っているような観音さんの顔を見るとほっとする」と言う。
普段は堂は施錠され、拝観希望は瀬上さんに連絡を。無料。数珠は500円。瀬上さん(0747・65・0325)。
近くの堂守、瀬上章さん(70)は「観音さんはありがたい。病気の時とかに助けてくれる。笑っている顔を見ると何とも言えない気持ちになる。ここにいてくれるのがうれしい」と言う。かつて円空仏は子どもたちの遊び相手にもなった。「近所の85、86歳のおっちゃんが、『子どものころは大事なものとは知らんで舟ノ川で浮きがわりにして遊んだ』と言っていた」。岐阜などにも、円空仏を子どもたちが浮きにしていた話がある。親たちは水難防ぎの願いを託したのだろうか。
瀬上さんは「円空はうちに泊まり、この奥の洞で像を彫ったと言い伝えられている。堂はもっと奥にあったが明治の台風で流され大正2(1913)年、今の所に再建し移したと父から聞いた」と言う。
340年ほど前、大峯山で修行した円空(1632〜95)が、ふもとの天川村・栃尾観音堂に残した聖観音菩薩立像(高さ137センチ)には、杉材に彫った顔の中央に大きなヒビが入っている。それでも像は包み込むようなやさしさを失わない。
ヒビは、以前は無かったらしい。堂守の瀬上章さん(70)は「父が兵隊から帰った昭和23(1948)年ころの写真にはまだ無い」と言う。