私がこの“蓑虫庵”の名前を目にしたのは、今年の正月。
伊賀一宮の敢国神社への初詣を終えて、伊賀上野の町に少々寄り道し、そこで“獅子舞”に出会ったわけだが、その時、“蓑虫庵”という表示を見たのだ。
何が気になったって・・・それは、“芭蕉”と“蓑虫”との関係。
調べてみると、
『伊賀上野には「芭蕉五庵」(無名庵・蓑虫庵・東麓庵・西麓庵・瓢竹庵)と呼ばれる芭蕉にゆかりの草庵がありました。その中で唯一現存するのがこの蓑虫庵です。
芭蕉の門弟服部土芳は、貞享5年(1688)3月4日ここに庵を開き、些中庵と名づけました。当時城下町の最南端に位置し閑静な場所でありました。
折りから「笈の小文」の旅で伊賀上野 に帰郷していた芭蕉が1週間後の11日にこの庵を訪れ、庵開きの祝いに
「みのむしの 音を聞にこよ 草の庵」
の句を贈ったことから、上五の「みのむし」を取って蓑虫庵と呼ばれるようになりました。』とあった。
いったい“みのむしの音”って、蓑虫が何をしている時の“音”なのだろうか?
“蓑虫かぁ~”・・・
最近、朝寒くて、布団から出にくい自分を連想してしまった・・・
※清少納言によれば、蓑虫は「ちちよ ちちよ」と鳴くことになっているそうです
伊賀一宮の敢国神社への初詣を終えて、伊賀上野の町に少々寄り道し、そこで“獅子舞”に出会ったわけだが、その時、“蓑虫庵”という表示を見たのだ。
何が気になったって・・・それは、“芭蕉”と“蓑虫”との関係。
調べてみると、
『伊賀上野には「芭蕉五庵」(無名庵・蓑虫庵・東麓庵・西麓庵・瓢竹庵)と呼ばれる芭蕉にゆかりの草庵がありました。その中で唯一現存するのがこの蓑虫庵です。
芭蕉の門弟服部土芳は、貞享5年(1688)3月4日ここに庵を開き、些中庵と名づけました。当時城下町の最南端に位置し閑静な場所でありました。
折りから「笈の小文」の旅で伊賀上野 に帰郷していた芭蕉が1週間後の11日にこの庵を訪れ、庵開きの祝いに
「みのむしの 音を聞にこよ 草の庵」
の句を贈ったことから、上五の「みのむし」を取って蓑虫庵と呼ばれるようになりました。』とあった。
いったい“みのむしの音”って、蓑虫が何をしている時の“音”なのだろうか?
“蓑虫かぁ~”・・・
最近、朝寒くて、布団から出にくい自分を連想してしまった・・・
※清少納言によれば、蓑虫は「ちちよ ちちよ」と鳴くことになっているそうです
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます