地上の星
2024年8月10日に発症したコロナ。
味が薄いものほど苦みを感じて旨くないという味覚障害と、
一か月にわたって咳や痰がひどい状態が続いたが、
その後は回復したと思っていた。
しかし、何度か不可思議な現象に遭遇し、
あれっ?、俺ってもしかして臭いを感じてない?と思う出来事が。
仕事中、突然同僚が臭いっ!と騒ぎ出した。
設備の部品が過熱・発煙していたのであるが、
皆が臭い臭いとお騒ぎする中、それほど酷い臭いかな?と疑問を感じた。
確かに煙が出ている部分に近づくと焦げ臭い。
う~ん・・・・。
その時は違和感を感じたが、それ以上深く考えることはなかった。
先日、10日後に長男坊が彼女を連れて泊まりに来るというので風呂場の大掃除をした。
筆者は洗剤で掃除して水で流したあと次亜塩素酸ナトリウム(商品名 ハイター)
で目に見えないカビ菌を根絶するのであるが、あの独特の刺激臭がしない。
最近スメハラ(臭いハラスメント)が流行りなので微香タイプとか、
無臭タイプを出したのかな?とラベルを確認するが、それらしいことは書いてない。
素手に付着すると水洗いしてもヌメヌメがいつまでも取れず(細胞が溶けてる)、
あの刺激臭もいつまでも取れないんだが・・・・。
おかしいな。
家族に臭いをかいでもらうと、まあいつものハイター臭はするけど・・・との事。
あっちゃ~ 嗅覚障害だわ。
まあ、味は感じるし、大した問題ではないと高をくくっていたのだが、
昨日、あやうく家を燃やすところだった。
2024年10月6日。
二度と同じ過ちを繰り返さないように自分向けの教訓として残すが、
夜勤明けで朝飯を食っているときの事。
夏の間は味噌汁は温めないか、軽く火に当てる程度だったのだが、
この日はおかずがイロイロあってバタバタしているうちに
大谷選手がパドレス戦でポストシーズン初となる同点スリーランを放った。
おおっ!と魅入っているうちに味噌汁鍋を火にかけていることすっかり忘れ、
気が付けば汁は全て蒸発し、具材の半分は炭になっていた。
以前も似たようなことは皆無ではなかったが、
煮立って広がる味噌の香りで気づいたものだ。
それが今回は味噌の匂いどころか具材が炭化したコゲ臭まで気づかない始末。
しかも鍋の後始末をしてる間もコゲ臭ゼロ。
コレやばくね?
人の命に関わることに臭いというものが深く影響をしないのであれば、
人間が嗅覚を持つ必要は無い。
次亜塩素酸ナトリウムのあの刺激臭も、
家が燃える一歩手前だった鍋のコゲ臭も、
まったく拾えない我が鼻は命の危機のサインを拾えない役立たずになってしまった。
やべ~っすね コレは。
(そのうち治るんかなぁ・・・・(;´Д`))
【令和の米騒動】 何人たりともオラの米は渡さねぇ byシオカラ米穀店
ここでいう不整脈は直接命を奪うわけではないが、
発作でメッチャ苦しかったり、人生の楽しみが色々制限されたり
精神的なダメージまでも含めたQOL(人生の質)を下げる御三家を言う。
それ即ち、心房細動、上室性頻拍、上室性期外収縮の3つの不整脈を指している。
心室性のなにがしや、その他モロモロについては管轄外なのでそっと退出なされよ。
不整脈から完全におさらばするためには医学・医術に頼らないと無理なモノが多い。
まあ筆者の根治までの格闘や根治術の体験談、その経過などについては
当ブログでも紹介しているので、そちらを見てもらうとして、
不整脈の怖さは、その病態とか症状だけでなく精神をも蝕む特性にある。
※心房細動は脳梗塞につながるので放置してはいけません
もし脳梗塞で体に障害が残った場合、家族に迷惑をかけるからです
例えば心房細動や上室性頻拍が出始めの頃は、
あまりの苦しさや恐怖心で予期不安によるパニック症を患った。
一時は人としての生活に支障が出るんじゃないかくらいに追い込まれたり、
その後も健常人とは同じように生きれないという苦渋も味わった。
このパニック症を克服するまでざっくり10年の歳月を要したが、
不整脈を知り己を知ったあとは発作中でも平気で眠れるようになった。
苦しいのは著しく血流(=血圧)が変化するとか血流が滞るものであって、
心拍数が160近くても血圧が大きく変化しないモノは
恐怖心さえ感じなくなれば共生できる。(これが良くない場合もあるが)
同じ不整脈に襲われていても、恐怖におののくか?平気で寝られるか?の差は
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」にある。
老若男女問わず、今どきの人は情報過多な上に情報が即時入手できる弊害で
とにかく頭に知識やデータを蓄積しない。
また、タイパ(タイムパフォーマンス)とか言われる通り、
すぐに答え(あるいは成果)だけを求めたがり地道な活動を嫌う。
まあ勝手にやってろなのであるが、
自分の不整脈はどんな不整脈で、どういう時に襲ってきて、どういう時に収まって、
肉体的・精神的にどのようなダメージをもたらすか?。
数年以上という長いスパンで真摯に向き合うことである。
(それが嫌なら医者がまだ早いと言っても医者に捻じ込んで根治術をしてもらえ)
さて、ここで直接的な答えを期待した方は甘いなぁ~。
ここの住人の症状や対処法が誰かに合うとは限らない。
ということで撮影体験に例えて考え方をご紹介する。
撮影体験に例えられたら読解できない人は、まあそれまでの人。
苦しんでくれ。(逃れたければ覚悟を決めて足掻け、学べ、戦え)
筆者は腎臓の劣化防止・負荷軽減のため塩分制限や内臓脂肪の削減が必要で、
食事に気を遣ったり(まあ、あんまりしていないが)、毎日散歩をしなければならない。
始めは良かったが、散歩だけでは苦でしかないので撮影を楽しみながら歩くことにした。
歩くことを主眼にしたときは1時間に7200歩、2時間で14400歩ほど歩く。
歩数の計測や歩く距離を出すのにスマホやスマートウォッチは必要ない。
時計があれば事足りる。
さて、時計がなくなったら?。
太陽が出ていれば時間は測れる。
太陽は1時間で15°東から西に動く。
おおよその真南(別に東西南北どこでもよいが)がわかれば日時計で時間は測れる。
はっ そんなことわかんなくてもスマホあればそれでいいじゃん。
でた!。
スマホや電気がいつでもあるというお気楽な前提で考えてる。
たかがこの程度の事でも知っていると知らないとでは違いはできる。
人間支障なく生きていくためには、まあいっぱい色々あるわけだ。
こんな感じで生きることの全てで一事が万事、人間力の差が広がっていく。
(スマホなくなったら生きていけない人、わんさかいるんじゃね?)
さて、自分が歩ける範囲(半径2キロ程度か)に縦横無尽に走る道路や歩道や土手。
ここをコース・つながりは固定せず、春夏秋冬・朝昼晩、晴れ/曇り/雨/雪/嵐、
とにかく歩き回って景色の変化や自然界に何が起きているかを見て記憶にとどめながら、
撮って撮って撮りまくる。
ちなみに人の目で見るだけではダメだ。
また、スマホやカメラの液晶でもダメ。
周囲の情報から隔絶され、自分が見た世界を強く意識できるファインダーで見る。
ここが重要である(視界を絞りより深く深く見る必要がある)。
これを地道に丹念に繰り返していくと見えてくるものが沢山ある。
まるっきり関係がないように見えることでも、
理由があって密接につながっているのがわかり
なぜそうなっているかが見えてくる。
不整脈とも同じように付き合えばよい。
春夏秋冬・朝昼晩。
発作が出た時、出る前、出た後。
いつ・どこで・何をしていたとき。
その時の肉体の状態、精神の状態。
心電図(5分心電図だと自律神経状態を解析してくれるものもある)、血圧計。
発作の持続時間、活発度。
気温、気圧。
薬効くのか効かないのか、どの薬が効くような気がするか。
あらゆることに耳をすまし、目を凝らせば(もちろん記録も)、
あるいは一人ひとり特有の何らかの繋がりとかパターンとか、
解決とまでは行かなくても、軽減する方法とかが見えてくるかも。
努力をしてもしてもどうにもならなければまな板の上の鯉になる(手術台に上がる)。
その決心がつけば、それはそれで良きである。
不整脈との戦いにあたっては
感度を上げ、知識を上げ、分析力を上げ、想像力を上げ、
五現(原)主義に基づいて行動することをお勧めする。(現場・現物・現実・原理・原則)
総合的な人間力が上げれば持ち主に意地悪をする心臓も白旗をあげるかも知れない。
2024年8月3日 磐梯吾妻スカイライン 双竜の辻
8/10にコロナになり、後鼻漏持ちの筆者はコロナの後遺症と合わせてえらい目に遭っている。
鼻(喉側)喉、気道、気管支の入り口に鼻水や痰がたまり咳が止まらない。
異物感で嗚咽をすることもある。
もしカテアブをしていなかったら?。
咳をしまくったりオエオエ嗚咽をしようものなら、
心房細動が始まり(あるいはひどくなり)その苦しみは想像を絶するものがある。
肺静脈を完全にブロックした今でも、数百回強い咳をするとか嗚咽をしまくると、
稀にリエントリー式の期外収縮が止まらなくなる時がある。
特に嗚咽はヤバイ。
おえ~~~~~っ 「あっ期外収縮止まんねぇ~」
こういう時は調子に乗りすぎたと死ぬほど後悔する。
(そうは言っても咳や嗚咽が出るのは防ぎようがないからねぇ)
ばばあはわからないが、じじいはいわゆる痰コロじじいと言われる、
ゴホゴホ、ゲホゲホ、かぁ~~~ぺっ!、おえ~~~~とうるさい
名物ジジイが近所にも何人か居る(他ならぬ筆者もその一人だ)。
肺静脈起因で上室性の不整脈が出て苦しんでる方。
とっとと焼いた方がいいですよ。
コロナに罹り、運悪く咳・痰が強く出た場合、地獄の蓋が開いて死にますよ!。
まあ他人のことだから知らんけど。
日向灘で大きな地震が起きると、それが南海トラフ地震の引き金になるかもしれない。
まだ研究途上ではあるが、そのように言われてきた。
巨大地震が発生し、どんなに大きな被害が出ても原発が耐えれればいずれ復興はできる。
だが、もし原発から放射能が漏れ出れば、その原発から東側では人の住むところはなくなる。
また、大気は単純に東側だけに流れるわけではないので、日本に住むことが困難になるかもしれない。
日本崩壊である。
だが、東日本大震災の教訓が生き、原発が耐えられた場合、
私たち持病持ちに襲い来るのは、通院や投薬が思うようにいかなくなるということだ。
政治家や役人アレルギーでマイナカードを保険証として使っていない人は、
ひとつ覚悟しておくべきことがある。(薬局でマイナカードを利用していない人もだ)
それはあなたのカルテや薬手帳などがローカルなデータや紙でしか残らない人は、
津波や火災による消失でデータが紛失した場合
最低限のケアすら受けられなくなる可能性が高いという事だ。
いくらデジタル庁の役人などが無能でバカの集まりだとしても、
さすがに全データが消失し復旧不可になることはない。
つまり私の病歴・通院歴、使用薬などのデータはその気になれば確認できるということだ。
※あくまで想像の範囲で書いてる点には留意されたし
未曽有宇の災害が起き、様々なものが消失し、
地方自治や医療の現場が大混乱になったとき、
一元管理されたデータから病歴・通院歴、使用薬などがサッと導き出せる人と
あちこちに分散されたデータを集めたり記憶を首っ引きで集める必要がある人、
どちらが早く最低限のケアが受けられるか(その可能性が高いか)
今こそよく考えるべきである。
その時になって後悔しても、もう遅いのだ。
最後に、どうか大災害が起きませんように。
それを強く願うばかりである。
ここは病気ブログだけあって様々な病気をお持ちの方が様々な情報を発信している。
その中でパニック障害について書かれたものも少なくない。
それぞれが自身の経験に基づいた対処法などを挙げているが、
果たしてそこに正解はあるのか?。
不整脈の発作の恐怖からパニック障害に陥いり、それを克服した男が一刀両断する。
※注意事項
正解は一つではない
自分に合う合わないは必ず出る
重要な事は「知識を得る」「情報を得る」というのは「選択肢を増やす」と考えることである
まず、パニック障害を克服する方法があるのか?。
あるにはある。
①まずは自身(自信)を知ること。
そして
②徹底的にパニックになることを避ける。
これしかない。
①については、パニック(私の場合は予期不安が真因である)になるのはどんな時か?
逆にならないときはなぜならないのかを徹底的に解明する(=知る)ことである。
もし、自分がいかなる状況下であろうともパニック症をおこすのであれば、
とっくの間に発狂死しているであろう。
だが、私はまだ発狂死していない。
つまりパニックになるツボがあり、
しかもそのツボはそこら中にあって、
さらにそれはいつでもどこでも発動するわけではないということだ。
かろうじて日常生活は送れておまんまも食っていけている。
これはツボを知れば発作の発動は防げるという一つの光明である。
私の場合、異様に集中力が上がり(いわゆるゾーンに入るということ)、
あらゆる音が数倍に増幅されるという症状が出た。
ウルトラマンは1km先に落ちた針の音でさえ聞き分けられるらしいが、
私もそこまでではないが、テレビの目の前に居た家族が満足に聞こえない音量でも、
5m離れている私がはっきり聞こえるほど聴覚が過敏になった。
ここで問題になるのは聴覚が過敏になったことではない。
自分にとって都合の悪い音がえらいボリュームで聞こえてきて、
その音を起因として起きるイベント=何かが起こる・起きたと想像し予期不安が起きるからである。
例を挙げれば電話(悪い知らせ)、緊急車両(事件事故)などが挙げられる。
だが、会社で、あるいはクルマの運転中、または出かけている最中にゾーンに入ることはない。
それは色々な音が溢れており、特定の音だけを拾うような集中のしようがないからだ。
(恐らく、こういう状況下でもゾーンに入ってしまう人はとっくの間に死んでいるだろう)
また、映画やアニメやドラマなどの緊迫する場面になるとかなりの確率で発症したが、
これはまさしく予期不安の典型例である。
そして、次に挙げるこれが最も性質が悪いきっかけになるのであるが、
いわゆるおいそれとは、あるいは絶対に逃げられない状況に追い込まれると100%発症する。
典型的なのは部分麻酔で意識がはっきりしている手術。
CTやMRIのように検査が終わるまで自由に動けない逃げられない状況下。
それよりは軽いが、「試験」「重要な発表会の当事者」「高速のトンネル走行」
などが挙げられる。
とまあ色々生活をしていくうちに発症(もしくはその前段)するパターンが見えてくるハズだ。
そこで②である。
ここでは自分は発症しないという成功体験を積み上げ100%信頼できる状態にすることを言う。
発症する可能性のあるものは徹底的に避け、
とにかく発症しないことに慣れ、
あれっ? 自分ってパニック症持ちなんだっけ?
というレベルになるまで持っていくことだ。(即ち忘れるという事ですな)
注意すべきは発作に慣れるという事は絶対にないので、そこは勘違いしないように。
日常生活において、発作のきっかけになるすべてのことを完璧に避けることは不可能だ。
だが、同じ状況に陥っても発作が起きる確率が下がれば予期不安は自然に薄れていく。
発症は避けられる、抑えられるという自信が持てれば不思議と発作を恐れることなく、
過去に発作が起きたような状況下に身を置いても平気の平左になる。
ちなみに私の場合、予期不安の予の字も感じなくなるまで10年の歳月を要した。
発作が出なくなるまで数年、予期不安ですら感じなくなるまで数年。
それほど、この心の病は重く性質が悪い。
ちなみにパニック症とおさらばするより不整脈とおさらばする方が後だった。
不整脈もそうだが、知って極度に恐れる必要がなくなれば意外に平気で付き合っていける。
人は心で生きている。
病は気から。
これをしっかり理解することがパニック障害を克服するための、
ただ一つの道である。