絶景系。
キラキラ系。
SNSに蔓延る自分好きの承認欲求の塊のナルシストは嫌いです。
最近、自分が何を求めてるのか?。
ようやくはっきりしてきた。
偶然の出会い。
目に見えないモノ。
縛り。
逆に求めていないもの。
流行り。
結果。
予想通り。
確実性。
人と同じ。
見たまんま。
成果。
歩留まり。
作業。
協力。
最初にカメラを持った頃は名所行ったりキラキラ系を真似たりしたが、
すぐに「あ~ 面白くねぇ~な コレ」と。
理由はすぐにわかった。
人生で最もやりたくないものはおまんまを食うために仕方なくやってる仕事。
そして、後述した求めていないものって、まさに会社の仕事そのもの。
自分が認めてもいない他人と協力し、
自分が認めてもいない上司の評価でお給金が決まる。
PDCAを回し、段取り良く、合理的かつ効率的に、成果を出し、
それは留まることを許さない。
なんで趣味の世界でまで会社で働いてるみたいなことせにゃ~ならんのよ。
鳥はいい。
居るか居ないかわからんし、居てもうまく撮れるとは限らない。
小さな世界はいい。
よ~く探さないと小さな世界にはたどり着けない。
しかも、これもうまく撮るのはとても難しい。
星空はいい。
暗いと余計なものは目に入らないし何より嫌いな人間どもが居ない
設定した結果を求め計算づくで行動することがいかにくだらないか?。
ボウズ(成果ゼロ)でもいい。
その辺を思うがままにうろついて偶然カワセミに合えるからこそ、
「俺って持ってるわぁ~」って思える。
他人にイイねされるために計算づくで作業をやるより遥かに気持ちいいのが、
承認欲求厨にはわからんのだろう。
ちなみに何より自然を愛する男なので、
目にピントが~とか
羽毛の解像がぁ~とか
くだらないものも求めて自然に深く干渉し、
カワセミに悪影響を与えるようなヤツは大嫌いです。
(っていうか死んでくれ)
痛ぇ~。
痛ぇ~よ~。
一時は睡眠障害に陥るほど痛みがひどかった五十肩(たぶん)。
ここ最近は安眠・快眠には程遠いとは言え、とりあえず寝れるようにはなった。
が・・・肩が特定の角度以外、寝てようが起きてようが歩いてようが仕事してようが、
何をしてても痛みから逃れることができず、いい加減ウンザリしている。
というかイライラを通り越して怒り心頭である。
心臓・ケツ(尻)。
自らの体のパーツが持ち主を痛めつけ苦しめる。
生きるってことは自分自身と向き合うことだとよく言われるが、
メンドクセ~なぁ~。
まあ、そんな肩の痛みや不快感と闘いながらも、
痩せる・・・・。
もとい、太らないためのウォーキングやポタリングは欠かすことができず、
ブツブツ文句を言いながら痩身お写んぽはなんとか続けている。
まだ雪の残るある日のこと。
この日はカメラを持たずに川沿いを散歩していたが、
見慣れぬ鳥が居ることに気づく。
ミサイルのように真っすぐ飛び、色は青っぽい。
距離は40mほどあるのでよくは見えないが、
どうもカワセミっぽい。
まさかな・・・。
この世にカワセミなる美しい鳥が居ることは知っているが、
身の回りにカワセミが居るなどと聞いたことがない。
(まあ世間知らずの半引きこもりなんで大した知見や見聞はないのだが)
この日のこの時間はお買い物ついでの散歩のつもりだったんで、
カメラ持ってきてねぇ~わ。
遠目でよく見えないがよ~~く目を凝らしてみると、
やっぱりカワセミっぽいんだよなぁ。
急いで買い物を済ませ、カメラを持ってもう一度付近を散策してみると、
それっぽいのが居た。
この日は曇りでとにかく暗い。
しかも距離は80mはあろうか。
普段はものすご~~く広く写るレンズしか使ってないんで、
換算3000mmは手振れ補正が補正しきれないほどブレる。
しかも、居るはずのないカワセミが目の前に居る興奮で体は震えてるし
(まあ、ようは純情で下手くそってことですな)
そんな中でなんとか何枚か撮ることができたんだが、
とても満足できる写りではない。
初めての遭遇なんで習性はわかりかねるが警戒心はかなりのもの。
対岸に居る限り逃げはしないが、同じ岸側に居ると40mでも逃げる。
こう見えても自然を愛する男なので自己満足のために、
このカワセミちゃんの生活を脅かす(追い散らす)気はサラサラないが、
せめてあとワンショット、満足する絵が撮りたいものだ。
換算3000mmのP1000ならカワセミを脅かすことなく撮れる。
だが、この日以降、留まった状態のカワセミには出会えてない。
(飛んでるところは何度か見たが)
う~ん。
もともとここいら辺に住んでたわけじゃないのかな?。
まあ、毎日散歩はせにゃ~ならんので、
ここいらのお住まいなのであれば、そのうち会えるだろ。
カメラを振り回す目的は人によって異なります。
※お金目当ての人は除く
photographer = 撮ることそのものを楽しむ人
artist = 芸術的創作活動の一環として作品作りに撮影の成果物を利用する人
mixer = photographerとartistの双方の目的がある人
flexibleer = なんでも屋
※筆者の造語も含まれてます
私は完全なるphotographer(受ける光を操るもの)
【如何に撮るか?】の探求が撮ることなのです。
私にとってカメラで撮るとは?。
目に見えるものを記録に残すことではなく、
目でなんとなくくらいしかわからない世界をハッキリ捉えることだった。
撮り歩いたら撮り歩いたでいろんな出会いがあるんですが、
ガソリン高くて貧乏人はおいそれとは出かけられないよねぇ。
会津に移り住んで40年、初めて見てきた。
どのような体験であっても体験から学ぶことは多い。
自分自身の課題はもちろんだが、
それ即ち自己中の己の身の程も知ることになる。
自堕落
グータラ
めんどくさがり屋
性分は変えられないから無理をする。
動画作りは好きだが、
動画を撮ってくるのはめんどくさい。
人はこれをジレンマと言う。
病に苦しんでる時は、この病が消えたらバラ色の人生が待っていると思うだろう。
だが、それは幻想だ。
自分自身には様々な限界がある。
体力や精神力はもちろんのことだが、己の性分が招く限界が最も厄介だ。
また、小説や映画のように技術や気力で時間の壁や物理法則を超えることもできない。
病が消え、新たな世界が切り開けても、
また別の何か。
己の力ではどうしようもないことが病に変わり己に立ちふさがるだけだ。
それは
己の性分が呼び寄せる業であったり
しがらみであったり
老いによる衰えであったり
新たな病であったり
大切なのは、
病で苦しんでた頃を忘れないことだ。
人は今を基準にしてどんどん欲深くなる。
あの地獄だった(と自分で思ってた)頃よりは全然マシではないか。
お囃子が流れ、多くの人の歓声がこだます
先人を偲び、尊び、その苦労とその後の繁栄に思いを馳せながら行進する人たち。
その姿を見ながら頭をよぎるのは、
討ち死にという自ら避けられる死に向かう時、人の心はどうなるのか?
それに比べればはるかに甘いが、己は残りの短い人生をどう生きるか?
ということだった。
自覚はないけど
病んでるんかな? (;^ω^)
修業。
仏の悟りの求めて実践することは「修行」。
修業とは学問な技芸などを習い修めること。
一般的に修業には師匠がいることが多いが、
師はいない。
師は、自分が魅せるために捉えるべき被写体によって異なる。
場所、季節、天候、時間、方角、距離、大きさ、時間軸。
これにより、
ボディ、レンズ、静止画、タイムラプス、動画の組み合わせを決める。
SNSでの見返りも求めない人間が、
何をよりどころに金と時間を費やし修業に勤しむのか?
好きな動画作って遊ぶためですねぇ
ちなみに、子供の頃カブトムシやクワガタムシの虫取りに奔走したが、
ガキながらに虫取りをやる目的は大きく分けて二つの潮流があった。
❶実利を得るため
ペット店に売ってお金を得る
仲間内でスゲェ~と褒められる
これは今のSNS厨の目的と同じで人間の欲望の本質である。
❷どこの何がいるか脳内情報に残し、己の脳内情報の価値のみを高める
実は私は❷派。
撮影も一般人とは目的が異なる。
私の目的とは?
なんかよう知らん名も知れね奴が
サッときて
サッと撮って
「ははん」と言って去る
ようになること
バンクシ―の生き方って
かっこいいよねぇ~
尻の切り裂きジャックから復活し、ようやく歩き回れるようになった。
年中尻が痛いか痒いか、常に尻の状態を気にする人生から少しづつ遠ざかっている。
初級ハイキングコースに出かけ、ハアハアゼイゼイしても心臓はピクリともしない。
(そりゃ~死んでる状態だって)
正確に言うと、ハアハアゼイゼイしても心臓は不正な動きをほぼしない。
SNS脅迫症=いつも誰かに認めてもらわないと生きていけない承認欲求厨ではないので
SNSに人生依存する必要はない。
成果物の質や量を上げ、ノルマを必死にこなし、
フォロワーへのお礼参りに心身を消耗し、時間を無駄にすることもない。
もはやブログも自己主張の場ではなくなった。
ただの備忘録である。
唯一の問題は、腎臓保護の薬で脱水が許されないこと。
水をがぶ飲みし、オシッコを出しまくる必要があり、
アウトドアライフとは偉く相性が悪い身体になった。
(元々半分引きこもら~)
人生、頭痛のタネが尽きることはないというが、
たぶん一生、水分補給と水分排泄問題はついて回る身体・人生となるだろう。
それでもねぇ~。
心臓にビクビクしていた人生に比べたら100万倍マシ。
他人からの評価
成果物の質
納期
チームワークで自分を殺す
おまんまを食うための、会社という組織の、仕事上で、
己の許容量、1日の持ち分はすべて使い果たしているので、
撮影にしても、ゲームにしても結果は求めない
程よいプレッシャーの中で、ゆる~~く、気持ちよ~く、好きなように楽しめばよい。
グータラ最高!。
真の意味でグータラに生きるためには、
やはり心身の健康が最も大切である。
(心臓が暴れるのが怖くてダラダラ過ごしているように見えても、それはグータラではない)
心臓に振り回されない人生は、
この上なく快適である。
福島県喜多方市 2023年 日中線のしだれ桜
ここにきて、ハタと気づく
どの写真見りゃ~日中線のしだれ桜ってわかるんかいな
(1枚目のSLは、まあ有名ですが)
桜(の一部)とオリオン座しか撮っとらんやんけ
確かに
じゃ~これかなぁ~
まあ、わかるようなわからないような
これならどうだっ!
この辺は桜のトンネルと呼ばれているあたりだったような
(雪が降ってきて撮るどころの騒ぎではない)
桜のトンネル感はこうかな
いやいや、このぐらいじゃないとトンネルとは言えんな
雪が降って寒かった感が出せてないから
こんな感じかな
寒いとトイレが近くなるので、これは大事だな
出店が出て賑やかだよ~ん感はこうか?
(まだ店やってねぇ~けど)
最後に日中線のしだれ桜だって、はっきりわかるように
ここまで来て悟る
つまり自分には写才はないのだと
星はテーマがハッキリしとる
夜は余計なもんも写らん
昼間はいろんなもんが写る
取捨選択は撮り手の腕だ
なるほどな (;一_一)
会津で星の写真を撮る方は少なくありませんが、
みなさん、それぞれ価値観をお持ちなので、
他人様が思っているほどつるんで撮りに行ったりはしません。
ただ、彼だけは例外でした。
しかし、ぶっちゃけてしまえば、
彼は夜が怖い。
真夜中のおどろおどろしい場所にひとりではいけない。
はて、聞けば、
一か所にデン!と構えて動かないヤツがいるらしい。
ということで私に白羽に矢が立ったというわけです。
もっとも、お互い居心地が悪ければ何度も一緒に居ることにはならないわけで、
特に気を遣うこともなく、気が付けば長々と一緒にいるような人を友と呼ぶのでしょう。
(人生で友だったかな?と言えるのが数人の独立独歩の人間だったので、ようわかりませんわ)
ということで、星一つ見えない空の下で嘆く友に捧ぐ