不整脈のトラウマに打ち勝って明るく前向きに生きる男の顛末記

明るく前向きに生きることで
不整脈とQOLをコントロールした男の生きざまを描く

命の儚さを知ると自然が好きになる

2024-05-28 09:00:16 | 人間学

そして人間が大嫌いになります。

もちろん大半の人は普通、
いい人も大勢いるけど、
あまりにもクソな人間が多すぎて帳消し。



命に係わるかどうか別にして、

 病気の世界にもマウントってあるんですかね
 カメラの世界では金額や性能でマウントとる人いますけど
 軽い病気だと、その程度の病気で騒ぐな・・・みたいな

痛みや苦しみで死というものを意識すると、
健康のありがたみや普通に生きれることがとても貴重なのだと感じれるようになる。

孫娘が生まれて本当の愛情というものを知ったということもありますが、
最近は特に小さな世界の命の儚さが愛おしく思えるようになりました。

1cmに満たない生き物にも命があり、
人間よりはるかに生きることに真剣です。
(適当に生きてたら死んじゃうからね)

写真のクモは、どちらもハエトリグモという種で、
目がとてもよく、頭がよく動くので仕草がとてもかわいい。

しかし、一瞬の油断が命取り。
自然は多くの命を育みますが、同時に命に対してとても厳しい。

健康のために歩き回り、自然をくまなく見て回ると
自然の儚さがわかって自然に優しくなれます。

好き勝手わがまま放題に生きてエネルギーの無駄遣いをし、
そのしっぺ返しで災害で家を失ったり命を失ったり。
それでも自分には関係ねぇ~と、どんどん我儘ぶりが増長しまくり。

もう少し地球に対して謙虚に生きませんか?。
言ってもわからんか・・・。
せめて病に苦しんだ人には、そこに気づいてほしいけどねぇ~。


人が人を必要としない世界をせっせと作る いよいよ滅びへのカウントダウンが始まった

2024-05-16 08:24:05 | 人間学


【カタバミ】葉がレッドタイプ
ただの雑草/そこら中に普通に見られる/ヤマトシジミ(蝶)の幼虫の食草/
花は小さいが可憐で綺麗/種は手りゅう弾のように弾け飛ぶ/

カタバミは葉が青いタイプと赤いタイプがあるのは知っていたが、
花に微妙な違いがあるところまでは見てなかった。
葉が赤いタイプは花弁内側に鮮やかなレッドリングがある。
生物の進化とは実に不思議なものだ。
赤と青に分かれた理由はなんだろう?。
自然は実に奥深い。



昨今、AI(人工知能)が目覚ましい発展を遂げている。
ここで主導権を握れば莫大な富が得られる。
例によって欲の亡者(=人間)は恐ろしい勢いで開発を進めている。
AIが人を滅ぼすか否か?。
滅びるをどう定義するかによって見方は変わるだろう。

例えば、人が生きているか死んでいるかの定義。
筆者は人間らしい活動ができなくなった時点で人の死と定義している。
人間らしい活動とは?。
自分の意志で何かを成せること。
それができなくなる、あるいは大きな制限によって多大な労力を必要とする時点で、
人の死と考える。(つまり、自分はそのような状況下で生きるのはまっぴらごめんということ)



カメラで話を進めよう。
現時点の最新の高性能機は、
 被写体の高精度な自動認識機能
 高精度なAF機能
 高精度な被写体の追尾能力
 プリキャプチャ機能(シャッターを押す前から記録を開始している)
 著しい連写・記録機能
それを可能とする処理能力を有している。

SNSを見ればわかるが、かつてはプロ、あるいはハイアマチュアの領域だった
カワセミの飛び込みなども、高性能機さえ持っていれば
にわか野鳥カメラマンでさえ撮れるようになった。(必ず撮れるとは言ってないよ)

ここで問題です。
 人がシャッターを押す前から裏では記録されている。
 人が到底制御できないスピードで連写し記録している。
 ピントを合わせるモノ、ピントを合わせる位置を人が制御していない。
この状態を人が撮っていると定義できるか?

カワセミの飛び込みをこのような高性能機で撮る場合、
人が介在している撮影プロセスは何か?と考えると、
 その場にいた。
 必要な設定をカメラに施した。
 カワセミを追ってカメラを向けた。
 シャッターは押した。
せいぜいこのくらいである。

人間が写真を撮っているか否かを筆者基準でいえば、
「まあギリギリ人が撮っていると言えなくもない」である。
撮るプロセス、どう撮られたかを写真の価値とみなす筆者にとって、
こういう撮り方をされたものは、もはや写真として見る価値はない。
ちなみに商売としてなら話は別だ。
これはあくまで撮ることが趣味でぇ~すと言ってる輩が、
自分が撮ってるか否かを主張していいか悪いかの話です。

ここで一気に話を進めよう。
生成AIが著しく進化した未来。
人間がせっせとSNSなどに投稿した画像やEXIF情報、日時や位置情報から、
パソコンの前で撮影位置・方角・時間帯・気象条件などを指定してやれば、
生成AIは、まるで人が撮ったかのような素晴らしい画像を生成するだろう。

その頃の人間は多くのことを自動実行されるタスクとしてAIに実行させているだろう。
その頃にSNSが存在意義を持ち続けているか、甚だ疑問ではあるが、
AIは承認欲求を満たし続けたい依頼主の要求に応え、せっせと画像投稿をし続ける。
あるいは画像だけでなく、依頼主の特徴をLLM(大規模言語学習モデル)によって掴んだAIは
まるで、その人間が書いたかのようなキャプションやコメントを書き続けるに違いない。
もちろん返信も!である。
そして、それはその人間がある日突然死んだとしても続けられることになる。
(銀行口座、アカウント、本人が死んでも存在し続けている現在を見れば改善される見込み薄だ)
これは実に恐ろしい話だ。
これが100人1000人なら、まだいいが、
実在する人間の数を大きく侵食することになったら?。

私たちは人が発信していない画像や情報に日々晒され続けることになる。
で、睡眠欲と食欲以外のタスクをAIに任せて暇を持てました人間は何するか?
まあ、自堕落した生活を送るんでしょうねぇ。

ちなみに、国・企業などが、この手の問題の解決策を打ち出すのでは?とお考え?。
まあ、メタの詐欺広告に対する対応を見ればわかるだろう?
金になるのであれば何でもやるのが企業である。

だって~、自らの存在価値をなくす方向に人類自らせっせと舵を切っているんだもの。
バカとしか言いようがないよねぇ。

ちなみに筆者はAIが人類にもたらす恩恵も重々理解している。
だが、私、あるいはあなた個人に存在価値がある未来かというと、
まあ、ゴミ・クズ・カスみたいなもんだろうね、個人としての人の価値なんて。

ただ、自分が死んでも自分に成り済ましたAIが
せっせと自分らしい発信を続けてくれるんだから、
承認欲求厨にとっては自分が存在しなくても本望と言える未来なのかもしれない。

ちなみに、今現在も人の欲が絡んでいる情報は一切信じていない。
(動画やキャプション付きの画像も含めて)

なるほど、だから人を遠ざけ自然と向き合うことに走るのか俺は。


病気になったからこそ見える世界がある

2024-05-10 07:24:31 | 人間学


【カタバミ】ただの雑草/そこら中に普通に見られる/ヤマトシジミ(蝶)の幼虫の食草/
花は小さいが可憐で綺麗/種は手りゅう弾のように弾け飛ぶ/

Nikon Z 7ⅱ+TTArtisan 100m T/S 2×Macro


死ぬまで人工透析にならないように塩分制限や適度な運動(減量)が必要になった我が人生。
病気にならなければ自宅周辺に限らず、あちこち歩き回ることはなかっただろう。
(退職してジジイになったら暇を持て余して歩いたかもしれないが)
自宅に閉じこもって1日中パソコンの前に座ってポテチをほおばりながらペプシゼロを飲む。
出かけるときは車でピュ~~ッ。
世界のほとんどが見えず、何も知らない人間で終わったであろう。
(ちなみに自転車でもダメ、歩くのに比べて圧倒的に触れる情報量は少なくなる)

ただし、距離を稼ぐために歩くことがメインになると視界は大幅に狭まる。
道端の草、雑草の花など、あらゆるものをじっくり見ながら歩こう。

病気にならなかったら決して見ることのなかった世界が見えるだろう。
自然をじっくり見て歩くのも悪くはない。


追伸
ただし、病気にならずに酒池肉林で人生を終えられた方が個人的には良かったがね(-_-)