病気ブログなのに病気の話がない?。
痛ぇ~ 肩が痛ぇ~よ~。
五十肩も立派な病気です(マジで寝れね~し)。
【まずはじめに】
どこのどなたが何を写真と呼ぼうが、写真をどう利用しようが個人の好き好きである。
ただ、もしあなたが物事の本質を理解できる人だったら?。
私が言いたいことはわかるハズである。
桜の季節になると桜の名所は人の群れに埋もれ、
桜を見に来てるのか?人混みに揉まれに来てるのかわからなくなる。
さらに世は似たような桜の画像で溢れ、うんざりさせられる。
ある食べ物がバズると、そのお店には人が溢れ、世は同じような食べ物の写真で埋まる。
毎日名所を巡り、
毎日名物を漁り、
毎日SNSに投稿し、
毎日かなりの時間を他人へのいいねに費やし、
お互い様のフォロワーの数や、
お互い様のいいねを増やすことに必死になる。
欲に群がる醜い人間。
痛い! 痛すぎる!。
病気だ。(病気ブログに登録しなさい)
さて、まあほとんどの人間が侵されてるSNS病。
なんでこんなことになってるのかというと、
人は認めてもらうことに飢えてるんだなこれが。
よく考えてみて欲しい。
家を建てるために銀行にお金を借りる時、銀行があなたにお金を貸してくれるのは?。
少なくともあなたが納税の義務を果たし、
社会的信用のおける企業かなんかに属しているからである。
その手の後ろ盾のないプータローだったら絶対にお金は借りられない。
同様に住民登録をして住所が定まってないと、
これまた普通に受けられる権利を甘受することもできない。
ただの一般人が他人に認めてもらえる(ような錯覚を得られる)。
昔は納税の義務を果たし立派に会社勤め(つまり社会的信用というバックがあった)
をしていたとしても、不特定多数の他人に対しては認められるなんて機会すらなかった。
しかし、SNSは実現しちゃったんだなぁ~。
どんな馬鹿でもアホウでも、とりあえず日本語の上っ面が読めて(真意が読めないアホが多いが)
キーボードなりスマホの液晶で日本語らしきものをポチポチできれば、
社会的信用がないオポンツク野郎だとして一丁前の口が利けるようになった。
カメラや撮影の専門知識がなくても、馬鹿でもチョンでもボタン一押しで
それなりの写真(あるいは動画)も撮れるようになった。
で、ボタン一つでSNSに上げられ、どこの馬の骨とわからないやつでも
人から認められる(ような錯覚を得られる)ようになった。
で、カマッテチャンや認めてチャンがワラワラ湧いて出たのが現代なのである。
にしてもだ、少なくとも家族や自分の会社(これは生きるためのお給金に直結するからね)
に認められていればそれで十分だと思うんだか、
上っ面だけでも認めてもらうことが現代人にはとても重要らしい。
しかも、
名
場所
モノ
の威を借るナントカ
そういうバック(自分をアゲアゲしてくれるヒト・モノ・カネ・肩書など)
に頼らないと認めてもらえないので、まあ、必死!必死!。
最初はいい写真撮るなぁ~と思ってフォローした人も、
本性を垣間見ると、まあ、承認欲求中毒者ばかり。
真摯に撮影に向き合ってる人って絶滅したようです。
もっともSNSには出没していないだけなんだろうね、
SNSなんて得られるものは空虚しかないし。
(小銭稼ぎの手段にしているのはもっと醜い)
TTArtisan 100mm T/S ×2 Macro(Nikon Z 7Ⅱ)
さて、今回の写真は【春】である。
※この春の真の意味が分かるあなたは助平です
名もなく(あるかもしれんが調べるのがメンドクサイのでパス)
バックがあるわけでもなく
バズる要素もなく
ただただ平凡な被写体に対して
極薄の被写界深度と
絞りと
露出と
シャッタースピードと
ピント位置の
せめぎあいの苦闘をしたただの記録である。
(それを春で表現しようとしたワタクシの深慮遠謀を理解してくれる人は素晴らしい人です)
虎の威を借るSNS民には理解できないであろうが、
名もなき映えないこの被写体の
この撮り応えはわかる人にしかわからない、
撮影の真髄がそこにある(なんつってね)。
絶景系。
キラキラ系。
SNSに蔓延る自分好きの承認欲求の塊のナルシストは嫌いです。
最近、自分が何を求めてるのか?。
ようやくはっきりしてきた。
偶然の出会い。
目に見えないモノ。
縛り。
逆に求めていないもの。
流行り。
結果。
予想通り。
確実性。
人と同じ。
見たまんま。
成果。
歩留まり。
作業。
協力。
最初にカメラを持った頃は名所行ったりキラキラ系を真似たりしたが、
すぐに「あ~ 面白くねぇ~な コレ」と。
理由はすぐにわかった。
人生で最もやりたくないものはおまんまを食うために仕方なくやってる仕事。
そして、後述した求めていないものって、まさに会社の仕事そのもの。
自分が認めてもいない他人と協力し、
自分が認めてもいない上司の評価でお給金が決まる。
PDCAを回し、段取り良く、合理的かつ効率的に、成果を出し、
それは留まることを許さない。
なんで趣味の世界でまで会社で働いてるみたいなことせにゃ~ならんのよ。
鳥はいい。
居るか居ないかわからんし、居てもうまく撮れるとは限らない。
小さな世界はいい。
よ~く探さないと小さな世界にはたどり着けない。
しかも、これもうまく撮るのはとても難しい。
星空はいい。
暗いと余計なものは目に入らないし何より嫌いな人間どもが居ない
設定した結果を求め計算づくで行動することがいかにくだらないか?。
ボウズ(成果ゼロ)でもいい。
その辺を思うがままにうろついて偶然カワセミに合えるからこそ、
「俺って持ってるわぁ~」って思える。
他人にイイねされるために計算づくで作業をやるより遥かに気持ちいいのが、
承認欲求厨にはわからんのだろう。
ちなみに何より自然を愛する男なので、
目にピントが~とか
羽毛の解像がぁ~とか
くだらないものも求めて自然に深く干渉し、
カワセミに悪影響を与えるようなヤツは大嫌いです。
(っていうか死んでくれ)
痛ぇ~。
痛ぇ~よ~。
一時は睡眠障害に陥るほど痛みがひどかった五十肩(たぶん)。
ここ最近は安眠・快眠には程遠いとは言え、とりあえず寝れるようにはなった。
が・・・肩が特定の角度以外、寝てようが起きてようが歩いてようが仕事してようが、
何をしてても痛みから逃れることができず、いい加減ウンザリしている。
というかイライラを通り越して怒り心頭である。
心臓・ケツ(尻)。
自らの体のパーツが持ち主を痛めつけ苦しめる。
生きるってことは自分自身と向き合うことだとよく言われるが、
メンドクセ~なぁ~。
まあ、そんな肩の痛みや不快感と闘いながらも、
痩せる・・・・。
もとい、太らないためのウォーキングやポタリングは欠かすことができず、
ブツブツ文句を言いながら痩身お写んぽはなんとか続けている。
まだ雪の残るある日のこと。
この日はカメラを持たずに川沿いを散歩していたが、
見慣れぬ鳥が居ることに気づく。
ミサイルのように真っすぐ飛び、色は青っぽい。
距離は40mほどあるのでよくは見えないが、
どうもカワセミっぽい。
まさかな・・・。
この世にカワセミなる美しい鳥が居ることは知っているが、
身の回りにカワセミが居るなどと聞いたことがない。
(まあ世間知らずの半引きこもりなんで大した知見や見聞はないのだが)
この日のこの時間はお買い物ついでの散歩のつもりだったんで、
カメラ持ってきてねぇ~わ。
遠目でよく見えないがよ~~く目を凝らしてみると、
やっぱりカワセミっぽいんだよなぁ。
急いで買い物を済ませ、カメラを持ってもう一度付近を散策してみると、
それっぽいのが居た。
この日は曇りでとにかく暗い。
しかも距離は80mはあろうか。
普段はものすご~~く広く写るレンズしか使ってないんで、
換算3000mmは手振れ補正が補正しきれないほどブレる。
しかも、居るはずのないカワセミが目の前に居る興奮で体は震えてるし
(まあ、ようは純情で下手くそってことですな)
そんな中でなんとか何枚か撮ることができたんだが、
とても満足できる写りではない。
初めての遭遇なんで習性はわかりかねるが警戒心はかなりのもの。
対岸に居る限り逃げはしないが、同じ岸側に居ると40mでも逃げる。
こう見えても自然を愛する男なので自己満足のために、
このカワセミちゃんの生活を脅かす(追い散らす)気はサラサラないが、
せめてあとワンショット、満足する絵が撮りたいものだ。
換算3000mmのP1000ならカワセミを脅かすことなく撮れる。
だが、この日以降、留まった状態のカワセミには出会えてない。
(飛んでるところは何度か見たが)
う~ん。
もともとここいら辺に住んでたわけじゃないのかな?。
まあ、毎日散歩はせにゃ~ならんので、
ここいらのお住まいなのであれば、そのうち会えるだろ。