2023年9月11日 午前1:56 父がこの世を去った。
御年95(数えでは97とのこと)。
老衰ではなく、厳密に言えば病死なのであろうが、
苦しみは一瞬で、その後は痛みや苦しみを感じることもなく、
倒れてから数時間後に静かに息を引き取ったらしい。
(まあ、昏睡状態の中にある人の意識が他人の予測の範囲内であるかは誰にもわからないが)
父にはついこの前のお盆に会ったが、百まで生きると豪語していたので、
多少の無念さはあったかもしれない。
おやじが亡くなったというと、皆が悲しいと思うかもしれないが、私は少し特殊だ。
つまり、亡くなった人の背景でその手の評価を大きく変えるタイプだ。
父は元々頑固者で他人の言うことに耳を貸さないタイプであったらしい。
都会から実家に戻った時は
ピンクのスーツにオレンジのネクタイ(逆だったかもしれない)
に身を包んで帰郷した傾奇者
(その手の美的感覚が根柢の部分で似ているので、つくづく遺伝とは恐ろしい)
母が言うことを聞かないと暴力も振るったらしいが、
まあ昭和の男、封建制の影を引きずる時代背景が残る中では、
特に珍しくもないだろう(もちろん私がそれを認めることはないが)
そんな父であったが、
40近くで生まれた三男坊の私には、そんな姿はおくびも見せず優しかった。
近年は頑固さや人の話を聞かない傾向に拍車がかかり、
さらに痴呆も進んで同居していた長男夫婦には随分と嫌な思いをさせたらしい。
55歳で国鉄を定年退職し、40年間悠々自適の生活。
95まで大病もせず、好き勝手生きてきたことを考えると、
(前立腺かなんかのガンになったことはあった気がするが)
もう十分じゃね?
それが悲しみを一切感じない故人(父)の背景である。
(ただ、他人に大きな迷惑をかけるような人ではなかったので父が嫌いではないが)
暦や葬儀場の関係か?、通夜は金曜日、葬儀は土曜日となった。
今は葬儀屋が至れり尽くせりで葬儀も難儀な行事ではなくなった。
家族の心労がというが、それは亡くなった故人と死に方によっても変わるだろう。
兄夫婦がどう感じているか私にはわかりかねるが、
何もかも親族が・・・・と言う時代よりは、
故人の死に向き合える時間ができたのが今と言う時代ではないかな。
私の死生観は少し特殊だ。
星屑から生まれた地球の空気や水や土から生まれた人間。
死ねば星屑に還るだけである。
(もちろん未来ある人が亡くなれば、それは悲しいと感じるし
可愛い孫娘に不幸が訪れたら胸が張り裂けるほどつらい気持ちになるだろうが)
次男坊が飛び降り自殺を図ったり、父の訃報を聞いても、
動揺の気持ちは湧かず、感情も動かないのは私が冷たい人間だからか?
いや、覚悟ができているからだと思う。
つまり、死とは誰にでも平等に訪れ、しかもそれは必ず訪れる。
早い遅い、望む望まないは所詮は人の気持ちの問題であり、
大自然の摂理、輪廻、諸行無常からすれば死ぬことは当たり前なのだ。
覚悟とは?
星屑に還ることが自然で当たり前なのだと悟ること。
(自分にいつその瞬間が訪れるかも含めて、その時が来たら騒がず受け入れること)
父の生き様と最期と言う観点では、
父の死は悲しむべきものではない大往生と言えるだろう。
社会的な父との別れは葬儀という形で行うが、
私個人としては星に還る父との別れは星空の下で行う。
星空の下で一晩じっくり父との思い出を振り返りながら。
もし父が星に還ったのなら、
きっと流れる一筋の光として、私の前に姿を現すハズだ。
とはいっても一晩ではいくつも流れるなぁ。
父よ!。
どれかわかるようにデッカイやつで流れてくれよ!。
そしてそれが、私と父との真の意味での別れとなる。
えっ? 流れなかったら?
次戦に持ち越しということで。