日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

あの日

2015-01-20 15:28:56 | 日記
あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙 第一 10章13節)



遅まきながら20年前の阪神大震災を思い出しています。震度3や2は解るのです。午前5時46分はまだ寝てました。大きな揺れが来て、これはいつもとは違い大きい!と思い息子や娘を起こしました。呑気な息子は起きないですが、娘は起きて、夫も起きました。、その後隣りの父を見にいけば元気にしていて、地震も直ぐ止まりヤレヤレ。

震源は何処だろう、とTVを着けたら、神戸と言っている。神戸、以外だなぁと思いました。神戸なんてめったに災害がないのにと。間もなく高速道路が横倒し!!エ~~~なんてこと!TVは2人亡くなりましたと伝えている。こんな高速道路が横倒しでは、死者はもっと多い、と思ったものです。

次々報道され、参事が。長田区等に出火が!自衛隊等が出て何故消火しないの!?どうしてこんなに支援が遅れてるの?宇治市は近いし、自衛隊もある、早く出動を何故政府は指示しないの、とヤキモキしたものです。
豊かで美しい神戸が。。。次々報道される状況に、本当に悲しみました。



神戸は友人も知人も殆どないのですがクラスメートに電話しました。彼女は山手なので、食器棚の食器が皆割れた程度だったらしい。
神戸ではないけど、その近郷に友人が二人いまして、一人は繋がり無事。もう一人のMさんがなかなか繋がらない。公衆電話でやっと。御主人のお母さんは灘区で家が全壊でも助け出されたとか。自分のお母さんは宝塚市でそれも全壊ですが助かったとか。

でも彼女は両方のお母さんの面倒を看る事になる。今まで子供がなく気楽な二人暮らしが一変。苦労が襲って来た。よく話を聞いて上げたものです。この時、上記の御言葉を彼女に手紙で知らせました。Mさんは、神戸のキリスト教女子大出なのでやはり、学校から同じ御言葉で励ましの手紙をもらったとのことでした。

私は当時、既に両親の介護で炊き出し等行けなかったのですが、3か月後に長田区と宝塚市へ行きました。長田区はかなり整備されてましたが、急ピッチの工事がされていました。阪急宝塚線は不通で、尼崎からJR宝塚線で行きました。窓から見る風景は更地が目につき、青いビニールシートが沢山被せてました。宝塚は何と花の道両側のお店は皆全壊。大劇場周辺も修復工事の最中でした。

あれから。。。世の中も変り、我が両親も既になく、親戚も代変り。友人関係も、体調不良の方もある。近所も地域も変ります。国も色んな災害が多くありました。

神戸は殆ど復興されました。東北は広い範囲ですし、津波や原発で更に困難と思います。