日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

若葉に降る雨

2018-04-25 08:32:31 | 日記
「人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、…」ガラテヤ1:1



小雨が降る今日。若葉や花々が雨により鮮やかに冴えています。
何年か前の宇治田原、高尾高原の丁度今ごろの風景です。
小雨が降り雨霧になってますね。



花木も霧の中で色を添えています。



初夏の様なこの頃。外で動けば暑いですが、家では心地良い気温です。

上の言葉
これは強烈な自己意識です。自分の今が何によって存在しているかをこれほど明確に告白することができれば、何があっても揺れ動きません。私たちは自意識過剰でありながら、揺るがない確信がないために、世間の小さな物音で右往左往してしまいます。すべての第一原因である神様がはっきりした目的に従って自分自身を存在させていると確信して生きるものとなりましょう。(KE)


馬鹿はバカでも

2018-04-24 08:33:16 | 日記
「人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、…」ガラテヤ1:1



暑いと思っていても、少し涼しく安らぐ時も与えられ、今日は雨でも
楽です。暑い日でも夜は気温が低いので、真夏の様ではなく楽ですね。



昨日は歯の検診で宇治橋の方へ行きました。宇治橋商店街を歩けば次々と
新しいカフエや大手土産物店が駅前に出て、すっかり観光化。外国人も多い。
新しいお店でちょっと試食して来ました。う~ん、美味しい。何処も
味の競争でしょうか。抹茶とアーモンドの目新しいデザート。アーまた甘いものを
食べてしまった。



孫の為に、私にとって大枚でエアコンを買ってやらねば。親ばか
でなくババ馬鹿です。

上の言葉
これは強烈な自己意識です。自分の今が何によって存在しているかをこれほど明確に告白することができれば、何があっても揺れ動きません。私たちは自意識過剰でありながら、揺るがない確信がないために、世間の小さな物音で右往左往してしまいます。すべての第一原因である神様がはっきりした目的に従って自分自身を存在させていると確信して生きるものとなりましょう。(KE)



総会

2018-04-23 08:57:27 | 日記
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。」コロサイ3:23



4月という気がしなくて、5月か6月の日々を過ごしています。
昨日は年1度の教会総会でした。今の教会は初めてで、同じ聖書ではありますが、
形態は違います。直ぐ終わって、何と1時間。楽しい雰囲気の内に
終わり、神様に託ていればよい方向に向かうのだ、と感じました。



牧師のメッセージで解った事があります。聖書の使徒の働き2章?
だったか、「若者は幻を見、老人は夢を見る」の御言葉がどうしても
解からなかったのです。
幻とはビジョン。若者はビジョンに向かって働き、老人は若者達の働きに
夢を託す。今は幸いな事に教会では若者が多くなった。
若者も老人も共に集い、神の御心を求め、出発する教会に
したいと牧師は言われた。



今は若者は20~40代と私は思えるのですが、50代でも
自分は若者と思う人もあるでしょう。老人は?65歳以上か?
80歳でも壮年と思う人もあるかも解らない。解釈はそれどれ。



若者に夢を託す。いいですね。

上の言葉
これはイエス様の救を受けた者の基本原則です。私たちは主に召された僕です。私たちのすることはすべて主のためにしている事です。生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。日々の生活、家庭でも職場でも、どこにあっても、誰かのためにしているようですが、人のためではなく、主のためにするわざです。だから、それに報いてくださるのは人ではなく、神様です。エジプトへ売られたヨセフを見てください。彼の生涯は神様の手に委ねたものです。(KE)

哀楽

2018-04-22 01:14:00 | 日記
「断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。」ローマ6:2



畑の野菜も成長し、何もかも大きくなっています。孫の進学に
ついて、今日は説明会があった様子。よく毎日勉強してる様でも
目射す大学には学力がまだ必要とのこと。大学はクラスでできる、
のでなく、全国区ですからね。喜んだり、ガッカリしたり、
困ったものです。厳しいものです。孫の事まで心配せんならん
とは。



親は落ち込んで帰ってきたのですが、本人はまだあきらめず同じ方向に
進むとか。あまりに素直で競争心に乏しい。祈るしか仕方ないという事に。



本人に相応しいとこで落ち着きたいものです。背伸びしなくていいのでは、、、

上の言葉
主の十字架は私たちを罪から解放するものです。もはや、私たちに罪の力はおよびません。そのことを実感するには自分が主と共に十字架に死んだことを絶えず自覚することです。それは説得や理屈ではなく、聖霊が働いて、あなたに主の死と一体であるという確信を与えてくださいます。今なお自分は「ダメ」だと言うのでしたら、主を再び十字架にかけることになります。(KE)


青春を懐かしむ

2018-04-21 08:13:55 | 日記
「それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。」使徒16:6



予報では今日は真夏!家の中にいますと、丁度心地よい気温なんですが。
花は一挙に咲き、実に目まぐるしい。あれよあれよと咲いてしまって、
5月半ばにはもう何も咲く花がないかもしれない。高山に行かなきゃ
見れないでしょう。



昨日、学生時代の友人と、秋に京都市北部でミニ同窓会をもつ事に話がまとまりました。
全体でするのは面倒。気軽に集まるのがベストに思えます。今まで私も写真!
に比重が傾き、そんな気にもならなかったけど、一歩退けばまた違った思考が
働くものです。46歳で亡くなった共通の親友が生きていたらなぁ、、、
そうしたらもっと頻繁に会ってたのにね、、、と青春を思い起こす話になり
ました。今は精鋭有名校になっていますが、当時は女子校で自由な校風。
楽しくのびのびしていて、私達、幸せな学生時代だったね、と互いに忍び合い
ました。私も今思い出しても薔薇色。女子校で恋愛禁止でもそれ以上に楽しかったです。



あの友が生きていたら、、、でも私は彼女にキリストを伝えたので、
いづれ天で会えます。感謝な事です。

上の言葉
パウロは地中海沿岸の町々に福音を述べ伝えていました。これは彼の野望や功名心によることではなく、聖霊に導かれたわざでした。御言を語ることが彼の使命ですが、「聖霊に禁じられた」とき、それに全く従いました。人が考えて「良い」と思うことであっても、「聖霊」に従うほうが大切です。聖霊は常識や良識をこえて、変幻自在に人や事を導かれます。このとき、パウロは思いがけずマケドニヤへ渡ることになります。(KE)