日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

陽春

2018-04-04 09:11:14 | 日記
「夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。」ヨハネ21:4



庭のニリンソウが咲きました。何年か前に宇治田原の道に生えていたのを2本
貰ったのが増えました。1時山野草に凝って数多くありましたが、空間を
作るのも庭には必要と思い、随分処分したものです。やはり写真もそうですが、
空間があるとほっと出来ます。



今は一気に花々が咲き出しますから庭は忙しい。私も好きな花だけパチリで
花に申し訳ないです。



ボケの花も名前にたがわず可愛くて好きな花です。ピントが悪かったな。



夫は教会の花に今は一生けん命。庭よりも美しく立派になっています。
私はノータッチであります。

上の言葉
ガリラヤに戻った弟子たちは夜通し漁をしましたが、なにも獲れません。イエス様が見ておられたのですが誰も気がつかない。私達の慌しく、忙しい生活の只中にも主は立って見ておられます。しかし、それに気付かない私達は悪戦苦闘、努力の甲斐も無く空手で終わるのです。それでも主は立ち去らず、常にあなたのそばにおられます。はやく気付いて欲しい、み声を聞いてほしいと願いつつ。今、主が見えていますか。(KE)

イースター

2018-04-02 22:59:02 | 日記
「そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。」ヨハネ20:14



1昨日は名古屋から帰路に。ところが土曜で花見の見頃。今回は
名神からに決めました。
一宮まで、また桑名あたりまで渋滞。疲れますね。多賀で土産と
昼食です。何もかもよく揃ったところでした。アチコチ桜が
綺麗です。京都の東インターも大渋滞。醍醐の桜へ行くつもり
でしたが諦めました。勧修寺へ向かっても、ガレージ満杯で入場
禁止。あの静かな寺が。花見時はこんなものですね。



結局地元の宇治になりました、、、でもやはり落ち着きます。





昨日はイースター礼拝。キリストの復活を感謝して祝うのです。
また一人の青年が試練と苦しみを経て、キリストから救いを受け、
洗礼を受けられました。素直な証も感動しました。
その後持ち寄りの食べ物でとっても美味しくいただきました。
私は作るまがなく、名古屋のウイロとデコボンの差し入れです。

上の言葉
ご復活の朝、女達が墓に来て見ると主の体がありません。マリヤはひとり残って泣いていました。よみがえられた主は彼女のそばに立っていましたが、気がつきません。自分の固定観念に囚われていました。わたし達も同じように主を見失っているのではないでしょうか。「~のはずがない」、「~のはずだ」という思い込みは禁物です。主はあなたのそばにいるではありませんか。(KE)


夜の名古屋駅

2018-04-02 09:20:49 | 日記
「断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。」ローマ6:2



名古屋駅南の大きなホテルですが、夕食が着いていないのです。仕方なく
ホテルのシャトルバスで名古屋駅へ。すっかり変わった名小屋駅と周辺に
驚きです。綺麗になりますた。何処で食べようか。百貨店なら間違いない
でしょう。名鉄百貨店にします。



有名店には長蛇の列。食べるのも大変です。混んでないお店に入る。名古屋へ
それも久し振りだもの少々美味しいものを食べましょう、と春らしいセットを
注文。それが京料理と間違えそうなおいしさ。満足してホテルへ。シングルでも
ダブルでも同じ料金。ダブルを3つ取ました。いつも撮影でペンションの3階位ですが、
何と14階です。よく眠れました。

上の言葉
主の十字架は私たちを罪から解放するものです。もはや、私たちに罪の力はおよびません。そのことを実感するには自分が主と共に十字架に死んだことを絶えず自覚することです。それは説得や理屈ではなく、聖霊が働いて、あなたに主の死と一体であるという確信を与えてくださいます。今なお自分は「ダメ」だと言うのでしたら、主を再び十字架にかけることになります。(KE)


お見舞いで愛知県へ

2018-04-01 08:46:35 | 日記
「すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、『すべてが終った』と言われ、首をたれて息をひきとられた。」ヨハネ19:30



30、31日と夫の実家である、愛知県と名古屋市へ息子の運転で
3人で出かけました。
もう8年は来てないと思います。新名神を主体に高速ばかりですと
1時間余りで実家へ。何故来れなかったといいますと、夫が色々
病気したからでした。
今回は見まいだけでなく、大事な相談も少しあったのです。 それには
名古屋の姉にも会う必要があったのです。



実家では兄がこの4年は体が動かず車いす。夫はやはり血のつながった兄弟。
こんなになって、と泣いています。ごちそうになり、名古屋の姉たくへ。



本当に花見日和。満開です。黒川の周りには桜満載。大都会にもどこでも
桜は咲いています。姉の家は息子家族はお務めなので、姉一人が留守番ですが、
こちらも歩くのがやっと。兄弟6人で夫は末子なので姉は90代。無理ないです。
少し話、名古屋駅南のホテルへつきました。いつもは実家で泊まりますが、
義姉が大変。100歳時代といいますが、大変です。でも良い交わりがありました。
また息子もよく連れてくれたと感謝です。



これも車からコンデジパチリです。

上の言葉
十字架上での最後の言葉です。イエス様は父なる神様の使命を受けてこの世に来てくださいました。その使命はあなたに救を与えるためです。十字架の死をもって使命は完成し、救に必要なものは欠けなく備えられました。私たちが主を信じて主にならい、すべてのことにみこころを行うこと。これが救であり、主の十字架を受け継いで生きることです。十字架を負いつつ生きようではありませんか。(KE)