日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

春と共に

2018-04-09 07:51:38 | 日記
37 わたしは光として世にきました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たのです。(ヨハネの福音書12章46、47節)





上の言葉
キリストは世を救うために来られました。
我々はそれを素直に受ける事により、
真理を知り、喜びが溢れてくるのです。

寒い春

2018-04-08 08:56:51 | 日記
「また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」ルカ17:21





10は違う寒暖の差に戸惑いますね。風邪ひかないように気をつけなきゃ。
最近は桜をうえてる場所が多く、花見でなくても目に入ります。近所の
公園でも花見をする人も多い。町内から隣町に行けば桜並木。もう少し行けば、
宇治の観光地。

今年はカメラマンより、お花見はしました。
まだ桜の種類も様々ですから行く予定です。でも寒い春が
また来ました。今日は礼拝。静まって来ます。





「神の国はいつ来るのか」と尋ねた弟子たちに答えた主の言葉です。「神の国」は神様が主権者で、神様が統治する国のこと。それは見える形ではなく、私たちの心の状態です。あなたの心を支配している者は誰ですか。「俺だ」というなら、そこは神の国ではなく、俺の国です。イエス様に王となっていただくこと、これが神の国です。私たちは神の国の住人となり、王様に仕え、従う民です。(KE)
上の言葉

2018-04-07 08:57:40 | 日記
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。(テサロニケ人への手紙 第一 5章16~18節)



日本人は桜が好きですね。私は神社仏閣のよく手入れされたものより、
自然に植えた余り手入れされていない桜が好きです。この桜は
宇治田原の田原川の入口にある桜です。何度カメラに収めたことか。



イメージに描くのは小高い丘にある1本桜で、回りにタンポポ
でも咲く風景です。こういった風景はまずないですね。遠くの
山郷に行けばあるかもわかりません。
唯一、随分過去に奈良の大宇陀の又兵衛桜ですね。びっくりする
光景でした。うしろの桃が大きな枝垂れ桜を引き立たせていました。
皆よく似たイメージを持つのか、カメラマンの多さにまた驚きです。
また行きたいですが無理かな。

上の言葉
日常色んな事が起こりますが、上を見上げ、恵みを数え感謝を忘れず
生きたいものです。



お茶会

2018-04-06 08:40:10 | 日記
「話がすむと、シモンに『沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい』と言われた。」ルカ5:4



昨日道を走っていますと、近くの桜がすっかり緑で、桜はすっと咲いていさぎよく散る様が
改めて解りました。それが愛されるのでしょうか。



その足で京都南部の祝園へ。今の教会の御夫妻の招きというか、
頼まれか?宇治の他にマンションを持ってられ、宇治の家とここの
マンションの花や野菜を植えるのを夫が頼まれたのです。夫は
数回助け?車を運転しない夫妻だから、やっぱり助けてるのでしょう。
その御礼として、ここの飛び切り美味しいケーキとお茶をごちそう
になります。私は初めて。いつも安物ケーキしか食べないものですから
美味しいものですね。



園芸店で私もおだまきと忘れな草を買いました。



もみじも芽ぶきが始まっています。

上の言葉
イエス様がペテロに言われた言葉です。ペテロは代々漁師の家庭に育ち、漁の専門家です。イエス様は大工ヨセフの子で、漁については全くの素人です。しかし、イエス様はまた神の子です。イエス様の言葉にどのように答えるか、ペテロの信仰が試されます。自分の経験や知識を離れて、イエス様の言葉を信じ、「沖へこぎ出し、網をおろす」決断は私たちにも日々求められていることです。ペテロは思いがけない体験をしました。(KE)




山野草

2018-04-05 08:53:15 | 日記
「神よ、わが心は定まりました。わが心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。わが魂よ、さめよ。」詩篇108:1



寒暖の差が大きくあれよあれよという間に、花は咲き、散り、アワワーと暑い
夏がやって来るのでしょうね。夏、、、こちら堪りません。脱出のつもりで旅に
出たくなります。例年6月か7月です。毎度同じ様な場所だから、年でしょうか、
なれたところが落ち付きます。新しい挑戦が出来ない。困った。



東北は大好きですが、初めての場所でポイントが解るか?自信がない
です。結局慣れた信州でしょうか。でも東京回りになれば厄介に思えて
しまいます。



今、ミスミソウが美しく、ショウジョウバカマが健気に咲いています。

上の言葉
人生には幾度となく決断せねばならないときがあります。日常茶飯なことならばたいして悩むこともありませんが、生きるか死ぬかに係るとき人は迷います。自分にとっては生涯に一度のことです。人に聞き、専門家に意見を求め、ネットで情報を集めても確かな安心はありません。最善は神様の導きを信じて腹を括る(心定める)ことです。まだ結果はわからなくても神様からの平安が心に溢れます。(KE)