以前も話題にしたんだけど、槇原敬之と松本零士が「盗作か否か」をめぐって争っている裁判で、口頭弁論があったそうですね。法廷での初対決ということですが、どうなるんでしょう?といっても、以前も書いたように、わたしは槇原氏の言い分に軍配を上げますけどね。まあ、松本さん、勇み足ですよ、今回は!
・槇原敬之さんと松本零士さん、法廷で初対決 「約束の場所」歌詞盗用訴訟
・槇原さんと松本さん、口頭弁論で対立…歌詞著作権問題
今朝テレビを観ていてビックリしたんだけど、大澤孝征弁護士ってひとが、俳句の盗作を引き合いに出して、松本氏の言い分が通るというトンデモ解説をしてたんですよね~。
だいたい、元検察のいわゆる「ヤメ検弁護士」である大澤氏は著作権を専門にしていないので、テキトーな発言だなあってわたしは思いましたけど、普通の主婦なんかは、テレビによく出ている弁護士が発言すると、「そうなんだろうな」って思ってしまうんじゃないですか?
わたしの経験から言えるのは、弁護士って医者以上に、専門外はダメだってことと、あたりはずれが大きいということ。
でも、テレビ局って、この手の「リーガル・マインド」はかなり怪しかったりするので、テキトーにコメントを求めておしまいって話になってしまうんですが・・・。
そもそも、閉じた言語表現である五七五の俳句と、今回の<漫画VS歌詞>では著作物としての性格が違う。
それに、漫画の中のセリフに「著作物性」があるのかという問題に加え(セリフ自体が著作物といえるのかという問題)、「依拠性」(Aを知っていて、Aを真似てBを作ったということ)が証明できないでしょう。第一、槇原氏は松本氏の著作のことを知らないと言っている。
そして、「類似性」の観点から言っても、
「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」 (槇原)
「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」(松本)
前段は「夢」と「時間」が入れ替わり、単純に同一ではない上に、後段も主語である「時間」と「夢」が入れ替わり、「裏切らない」と「裏切ってはならない」は表現も意味も違う。
というわけで、今回は槇原氏に軍配というのがわたしの論拠ですが、念のために断っておくと、複数の専門家とこの件を話題にしたところ、ほぼ同様の答えが返ってきました。(じつはこの件の判例って、結構注目されているんですよ!)
さて、わたしが気になったのは、読売新聞の以下の部分、
>松本さんは「偶然似ることはないし、万一、私の著作を知らなくても頭を下げるのが、創作者としての倫理感だ。一言謝ってくれれば終わりにしようと思ったのに、公式の謝罪がない」と反論した。
「私の著作を知らなくても頭を下げるのが、創作者としての倫理感」というのは、無茶苦茶な論理ですよ。
前述したように、「依拠性」がなければ「盗作」は成立しません。
以前あった<小林亜星VS服部克久>の楽曲の盗作を巡る裁判で、小林氏の「どこまでもいこう」と服部氏の「記念樹」という曲が問題になった際は、「どこまでもいこう」という曲の知名度が「依拠性」の根拠とされましたが、「銀河鉄道999」の問題のセリフを知っているのはマニアくらいじゃないんですかね?(というか、少なくとも、わたしは知らない。)
というわけで、勇み足の上に、トンデモ発言まで飛び出した松本氏。引き際が肝心ではと思いつつ、判決まで行くと貴重な判例がひとつ増えるだよな~なんて・・・。
でも、トンデモ判決もたまにあるから、最後まで要注意ではあるんですけれど!
・槇原敬之さんと松本零士さん、法廷で初対決 「約束の場所」歌詞盗用訴訟
・槇原さんと松本さん、口頭弁論で対立…歌詞著作権問題
今朝テレビを観ていてビックリしたんだけど、大澤孝征弁護士ってひとが、俳句の盗作を引き合いに出して、松本氏の言い分が通るというトンデモ解説をしてたんですよね~。
だいたい、元検察のいわゆる「ヤメ検弁護士」である大澤氏は著作権を専門にしていないので、テキトーな発言だなあってわたしは思いましたけど、普通の主婦なんかは、テレビによく出ている弁護士が発言すると、「そうなんだろうな」って思ってしまうんじゃないですか?
わたしの経験から言えるのは、弁護士って医者以上に、専門外はダメだってことと、あたりはずれが大きいということ。
でも、テレビ局って、この手の「リーガル・マインド」はかなり怪しかったりするので、テキトーにコメントを求めておしまいって話になってしまうんですが・・・。
そもそも、閉じた言語表現である五七五の俳句と、今回の<漫画VS歌詞>では著作物としての性格が違う。
それに、漫画の中のセリフに「著作物性」があるのかという問題に加え(セリフ自体が著作物といえるのかという問題)、「依拠性」(Aを知っていて、Aを真似てBを作ったということ)が証明できないでしょう。第一、槇原氏は松本氏の著作のことを知らないと言っている。
そして、「類似性」の観点から言っても、
「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」 (槇原)
「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」(松本)
前段は「夢」と「時間」が入れ替わり、単純に同一ではない上に、後段も主語である「時間」と「夢」が入れ替わり、「裏切らない」と「裏切ってはならない」は表現も意味も違う。
というわけで、今回は槇原氏に軍配というのがわたしの論拠ですが、念のために断っておくと、複数の専門家とこの件を話題にしたところ、ほぼ同様の答えが返ってきました。(じつはこの件の判例って、結構注目されているんですよ!)
さて、わたしが気になったのは、読売新聞の以下の部分、
>松本さんは「偶然似ることはないし、万一、私の著作を知らなくても頭を下げるのが、創作者としての倫理感だ。一言謝ってくれれば終わりにしようと思ったのに、公式の謝罪がない」と反論した。
「私の著作を知らなくても頭を下げるのが、創作者としての倫理感」というのは、無茶苦茶な論理ですよ。
前述したように、「依拠性」がなければ「盗作」は成立しません。
以前あった<小林亜星VS服部克久>の楽曲の盗作を巡る裁判で、小林氏の「どこまでもいこう」と服部氏の「記念樹」という曲が問題になった際は、「どこまでもいこう」という曲の知名度が「依拠性」の根拠とされましたが、「銀河鉄道999」の問題のセリフを知っているのはマニアくらいじゃないんですかね?(というか、少なくとも、わたしは知らない。)
というわけで、勇み足の上に、トンデモ発言まで飛び出した松本氏。引き際が肝心ではと思いつつ、判決まで行くと貴重な判例がひとつ増えるだよな~なんて・・・。
でも、トンデモ判決もたまにあるから、最後まで要注意ではあるんですけれど!
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